閉店
会社のそばのいくつかの店が閉店になってしまった。それは知っていたのだが、今日帰り道をいつもとちょっと変えてみたら、そっちの方でもやはりビルの1階が空き店舗になっていたりして、これは寂しいなぁ。なんの店だったかが思い出せないというのも寂しい話だ。
景気は上向き調子だというけれども、それは企業にとっての話であって、企業は人を切り捨てて経費を節減し(切り捨てられるも地獄、残るも地獄)、一時的に業績を改善はしているけれども、こういうことをしていると、日本はどんどん駄目になっていくと思う。
小泉がいけないのだ。「痛みを伴う改革」という言葉が今も効力を持っているから、人々はいつまで経っても将来に希望を持てない。「痛みを伴う改革」に3年とか5年とか期限をつければよかったのだ。将来に不安を持ったままで大きな買い物なんてできないし、いつリストラされるかわからないという不安のなかで、勇気を持った改革なんて言い出せるわけもない。
「年功序列、終身雇用」という枠組みがなくなっていって、日本は確実に悪くなっていく。「年功序列、終身雇用」のすべてがよいというわけではないけれども、欧米式の「実力主義」への急激な移行は多くのドロップアウトを生む。欧米の実力主義だって一日にしてできたわけではないのだ。ちゃんと弱者救済の仕組みがあっての上での実力主義なので、そういう仕組みがないままに「年功序列、終身雇用」を打ち壊したのではホームレスが急増するだけだ。交通事故の死者数をはるかに越える年間3万人の自殺者が意味しているのはこういうことだと思う。
「年功序列、終身雇用」にはたしかに不合理な面もあった。コストの高い中高年の生産性が悪く、「うん、まぁぼくにはよくわからないけどねぇ」とか言っている部長が高給取りだったりして腹立たしい思いをしたものだが、そういう仕組みが多くの人の教育の機会を与えてきたのだ。流通機構にも無駄は多かったが、その無駄が多くの人々の教育機会という社会コストを支えてきたのだ。
もちろん、欧米流のビジネスが流入することによって、こういう「年功序列、終身雇用」の会社が不利になるのは当然のことだ。日本の会社が「実力主義」を取り入れ始めたときに、これはまずいことになると思ったのは、「実力主義」の会社は当然コストを安く押さえることができて「年功序列、終身雇用」の会社を凌駕することができるから、日本全体の流れがどんどんと実力主義へ流れて行くだろうと思ったからだ。
そしてやっぱりそうなった。今の日本は実力主義だが、落ちこぼれを拾うことができない。私もいつかは落ちこぼれていくのだろうか
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