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2004年3月27日 (土)

美人の基準

どういう人を美人と思うかなんてのは、しょせん主観の問題なので絶対的な基準なんてあるはずもないんだろうけど、日本女性が全般的に綺麗になってしまったので、男としても自分の審美眼を再点検する必要があるんじゃないかと思ったり、一方ではまぁそういうカタいこと言わないで、みんな綺麗になったんだからそれをそのまま受け入れればいいじゃないか、ということもあったり。

でも、例えば○川○が美人とか言われると、「え〜!? ちょっとなぁ」とか思うし、米○涼○もよく見ると変な顔だし、個性派美人ということなんだろうけど元モデルの○ょ○なんてよく見ると気持ち悪い顔していると思うんだ。

とまぁ、この先を書き続けていくと、なんだか女性が綺麗になっていくのをねたんでいるような論調になってきたので、やめよう。

そういうことじゃなくて、どういう顔だったら美人だと思うんだろうとかそういうことを書きたかったのだった。


4年ほど前に仕事で3週間ほどドイツに行ったことがあった。アメリカには何度か行ったことがあったが、ヨーロッパ、特にドイツは初めてだった。すると、目に映るドイツ人たちがやけにかっこよく見えるんです。特に女性はほんとに綺麗に思えた。感覚的には顔つきがシャープでみんな背が高く、アメリカ人みたいに太っている人は少なくて、がっちりした体つきの人は多くてもデブはそんなにいない。

特に顔つきに関しては、一緒に行ったもう一人の日本人が本当に扁平な顔だったので、ドイツ人達と「日本人は正面から受ける風をまともに受けるので、速くは走れないのだ、でもドイツ人は横風に弱くてまっすぐには走れないだろう?」などと軽口をたたいたものだった。図に示すとこんな感じ。



ホテルで朝食を運んでくれたおねえさんもずいぶん綺麗な人で、何日目かには「あら、貴方たち日本人なの?」とか言いだしたのだった。彼女は日本語を学んでいたらしいのだが、途中で断念し、もう忘れてしまったということだったが、あれで日本語がある程度話せたら日本でタレントとしてやっていけるんじゃないかと思ったくらいだった。

そんなわけで、ドイツ女性に目を奪われつつも仕事をなんとか終わらせるころには綺麗な女性を見ても別にいちいち驚かなくなってしまっていた。

ところが、だ。日本に帰ってきたらこんどは逆に日本女性が綺麗に見えてきた。これは一体どういうことだろうか?

思うに、着目するところが変ってきたのではないだろうか。例えばドイツ女性はみんな鼻が高いが、それは逆に言うと鼻にはバリエーションが少ないのでて鼻には注目しないということになるのではないだろうか。別の、例えば目とか口元とか、そういう個人個人を識別しやすいところに注目するようになったとき、「いちいち驚かなくなってきた」ということになったのではないか。

もちろん私は日本に長年住んでいるので、日本人の顔のバリエーションをそれこそ体に染み込ませている。それはつまり、日本人の顔のバリエーションをある意味統計的に分析して、バリエーションの大きい、言い換えると人々を識別しやすい部分に注目する傾向があるのではないだろうか。

そして、その傾向が、ドイツに行った当初の衝撃となる。日本人の顔の統計的なダイナミクスがドイツ人(民族的に「濃い」から)の顔の統計的性質に適応できなかった結果、「どっちを見ても美人ばっかりだ〜」という混乱状態に陥ったのではないかな? と言って見るテスト。

だから、3週間でドイツの顔を見慣れてしまうと、帰国してから日本女性が綺麗に見えたのではないのだろうか?

というふうなことを考えたりしているのです。

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