愛のために
「きみは彼女を愛していたか?」
「はい、ぼくは彼女を愛していました。でもぼくはその愛のためになにもしなかった。それが、いけなかったんです。」
「漁船の絵」という短編小説の一部分である。主人公は離婚した元の奥さんを金銭的には援助するのだが、それ以外のことはなにもしなかった。そのうちに元奥さんは不幸になっていくのだが、そういう生活を顧みて主人公が自問自答するのが上のシーケンスだ。
私がこの部分を読んだのはまだ学生のころで、電車の中だった。この部分を読んだときに大きなため息をついてしまって、周りの人の視線を感じてしまった。
この小説を書いたのはアラン・シリトー。彼の作品である「長距離走者の孤独」という短編のタイトルは聞き覚えある人も多いのではないだろうか。
シリトーはイギリスの作家で、いわば底辺の人々を描くのが得意だ。社会派というほどに政治性は強くないのだが、貧しい人々やいろいろな意味での弱者を暖かい視線で描いている。
私がこの部分に感動したのは、もちろん「愛する」という感情を行為として表すことが重要なのだという指摘だった。これは当たり前のようでいて、案外見過ごされているのではないだろうか。
ちょうど同じ頃、フランスの警句集のような本を手に入れていて、そこにも「人は愛しているということを口にはするが、証明することはしない。」という単刀直入なものがあった。読んだのはこの警句集のほうが先だったような気もするのだが、インパクトはこの小説の方が大きかったように思う。
この小説を読んだときには、愛するということがどういうことなのかまだよく分かっていなかった(いまでも本当に分かっているかどうかは怪しいものだが)。その後、ある女性への愛(?だったんだろうな?)のために私はタバコをやめた。
タバコをやめたい人は、自分の健康のためでなく、ほかの人のために(あるいは自分の子供のためにでも)やめることを考えるといいんじゃないかと思うよ。
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