サン・テグジュペリのP38
サン・テグジュペリの乗っていた飛行機が発見されたのは4月の初めだっただろうか。
P38のタービン部分の部品番号から彼の飛行機だと判明したらしい。コルシカ島の近くだったということだが、私には何のことだかよくわからない。
サン・テグジュペリと言えばもちろん「星の王子様」だが、私はこの本を読んだことがない。演劇として見たりしてだいたいの話は分かっているつもりだから、特に本で読み直す必要もないと思って。
それよりもこの人の書いた「夜間飛行」とかタイトルを忘れたけど南アメリカの郵便飛行事業をテーマにした作品のほうに惹かれるものを感じていた。「飛行機なんて使い物になるもんか」というふうに言われていた時代で、そういう逆風の中をパイロットとして飛んでいたサン・テグジュペリはよほど飛ぶのが好きだったのだろう。
だから、サン・テグジュペリは私にとっては「星の王子様」の作者ではなく、空飛ぶ随筆家なのだった。それもちょっと屈折した随筆家だ。郵便飛行事業の矛盾した危険な業務に反感を感じつつも自分の責務と、自分と同じような境遇にいる同僚に対して忠実だったのだろう。
そんな彼が消息を絶ったのは1944年7月31日、最新鋭のロッキードP38「ライトニング」に乗って偵察飛行に出たきり消息不明となったと聞いていた。ここで急にP38が出てくるのだが、これはすごいことである。なぜならサン・テグジュペリは複葉機のような旧式の飛行機の時代に操縦を会得していたが、そのころの技術だけではこの最新鋭機に乗ることはできないはずだったからだ。
P38は双発単座の戦闘機で、ゼロ戦などの二次大戦中の主力戦闘機に対抗して設計されたものだ。主翼後端の上の胴体に黒いものが見えるが、これが排気タービンで、これによって1万数千mという超高空での機動性を確保していた。高々度で虎視眈々と機会をうかがい、敵を見つけるとその高速を活かして一撃離脱する戦法を得意としていた。
なんでそんなP38で偵察飛行に出たのかはよく分からない。そもそも彼はこの時期すでに軍人ではなくて民間人の資格で戦闘機に乗っていたというのである。それでしかも偵察飛行? よくわからないなぁ。
一説にはサン・テグジュペリの飛行技量を疑問視するむきもあるらしい。いろいろと事故に遭ったことも多かったらしいから、たしかにそうなのかもしれない。きっと冒険心と技量のバランスの問題だったんだろうな。
この件についてWEBを探ってみると、マンガふうに撃墜された様子を表現してあったり、海底に沈んだ実際の機体などが散見される。フォッケウルフにやられたのか。
60年前になくなったひとのことをいまさら悼んでみてもしかたがないとは思うけれども、「夜間飛行」をまるまる一冊読んだときには、ああ、このひともこんな死に方をしなくてもよかったのに、と思ったもんだった。44歳か。WESも44歳だったな。
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コメント
パイロットの以上に飄々とした様って、いいねえ。
日本人女性かに座A型性格しつこめ根性ありすぎ付和雷同の私にはない性質に満ちていて、
憧れます。
パイロットの書く文章もいいね。
あと、郵便配達員も。
投稿: | 2009年2月14日 (土) 16時58分