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2004年6月22日 (火)

ロバート・ゴダード

 で、ロバート・ゴダードだが、私がよく行く書店に平積みされていたので読んでみようかという気になった。面白いと思ったのは文春文庫と創元文庫の両方から重なり合うことなく何冊かが出版されているということで、こういうのは珍しいんじゃないかな。

 「蒼窮のかなたへ」は文春からでている2冊目で、「ダメ男の・・」と書いてある腰巻きに惹かれて買ってしまったのだった。


 特に頭がよいわけでもなく、特殊な技能を持っているわけでもなく金持ちでもない男が幸せになるためには何が必要だろうか? それは幸運か、あるいは愛情に裏づけられた執念だろうか? いやその、ちょっと気取ったことを書いてみたかったので。

 非凡な主人公が活躍する物語りは、いっちゃ悪いが誰でも書けるんじゃないだろうか。しかし、平凡な主人公を活躍させるには作家は非凡でなくてはならない。そういう観点から「ダメ男もの」というのが私の興味を惹いたのだが、やはりこの作者はただ者ではないと思う。実はまだこの本読み終わっていなくて、下巻に入ったところなのだが、いろいろな謎が熟成していきつつも主人公が真実に迫る様子が興味深い。LAコンフみたいに登場人物が多いってわけでもないし。

 ただ、下巻に入って私はちょっと混乱している。誰かこの本を読もうという人がいたら、上巻で「5月22日」という日付と、「アンソニー・セドリー」という名前が最初に出てきたページを教えてもらえないだろうか。

***

 19世紀末のイギリスあたりに婚約しているカップルがいたと思いねぇ。で、その男の方が結婚式の数日前に自殺してしまったと思いなよ。女性の方はそりゃ落ち込むわなぁ。で、そこへつけこんでその女性と結婚してしまった男が主人公となっている小説がロバート・ゴダードの「闇に浮かぶ絵」なのだが、この主人公が結婚して10年ほど経ったころにその自殺したはずの男が生き返って現れたからさぁたいへん。

 というところまで読んだが、この先一体どうなることやら。

 ロバート・ゴダードの小説は以前に「蒼穹のかなた」を読んで、その後「日輪の・・・」というのを読んだ。これはレポートを書くのをサボってしまったが、実はすごくおもしろかったのだった。つまりいわゆる「超能力」は数学の素養を得ることによって可能になるという仮設を前提にしていて、読み進むとそうかもしれないな、と思った方がおもしろいかな、と思うようになってくるという次第。

 そういうわけだったので、今回の「闇に・・」はあらすじもなにも読まずに著者名だけで買った。最初はすごく読みづらかったのだが、要するに先に書いたようなことなので先行きが楽しみです。

 で、「闇に浮かぶ絵」読了。う~む、最後の方でショッキングな事実が暴露されるのだが、これの受け取り方でずいぶん評価が変わってくるのではないかな。それも日本人と欧米人ではずいぶん解釈が変わるだろうと思うのだ。

 全般的にさすがゴダードで複雑な作りにはなっているのだが、私としては「日輪」の方がおもしろかった。ともにストーリー・テラーとしての形式的な主人公のほかに実際の主人公がおり、さらにその奥には真の主人公がいるという点では共通しているので、「人生の中では誰でも主人公になりうるのだ」というふうなトンチンカンな受け取り方もアリなんじゃないでしょうか


リオノーラの肖像/ロバート・ゴダード

 ここのところ、ゴダードの作品をよく読んでいるのだが、これはひとつにはアメリカ製の小説のハリウッドを意識した内容(映画化を意識したような派手なシーンが多い)に辟易しているからで、イギリスのどちらかと言えばセコい話の方が私の性に合っているのかもしれないとか思ったりもする。

 しかし、ゴダードの作品ってのはなかなかハッピーエンドにはならないよなぁ、アメリカの売れ筋小説だとたいていハッピーエンドなんだけどなぁ。などと考えながらこの小説を読んでいたのだが、考えてみると、ゴダードの小説ではまず主人公というものがはっきりしなかったりあるいは存在感が薄かったり、もう死んでいたりするわけで、そんな主人公が最後に勝利するということはなかなかに難しいことではあるわけだ。

 で、ふと思ったのだが、ゴダードの小説の中では最後に何が勝利するのかというと、それは(作者の作った)真実である。つまり作者の作った複雑なストーリーが真実として最後に勝利するのであって、読者はそれに翻弄されることを楽しんでいるわけだ。


 そういうわけで、「リオノーラの肖像」も複雑な構成になっている。全体が「リオノーラ」の回想になっているのだが、その回想の中にまた重要な人物の回想が入っており、さらにまたその中に回想やら人の話の引用が入ったりで、読んでいる時にたびたび「今、誰が誰に話しているんだっけか?」と確認することが必要になる。


 で、まぁそのリオノーラ自身こそが作者の真実に翻弄されているわけなのだが、その翻弄されっぷりがまたすごいので、まぁある程度は先が読めるのだが読めてはいても作者によるその提示の仕方がうまいっちゅうか、まぁそこんとこで読んでて泣いてしまったのだが、これは子供を持っていないと泣けないかもしれない。ちなみに私が泣いたページ数は3桁の数字なのだが、その3桁の3つの数字を足したときの1の位の数は8になる。

 本を読んでて泣いたのは久しぶりだったような気がしたので、もう一度読み返してみたが最初の半分くらいは泣けた。3回目はほとんど泣けなかった。

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コメント

死んだはずの人が現れてって、○ソナみたいですね。w

投稿: choco | 2004年6月26日 (土) 23時52分

アンソニー・セドリーは上巻には出て来なかったと思います。下巻冒頭近くにいきなり出てきてぼくも???になりました。いまそこのあたりを読んでいるところです。

投稿: oshimayukinori | 2017年7月29日 (土) 15時20分

13年前の話なのでもう何にも覚えていませんが、今だとKindleなんかで読んだりして検索できたりするのかもしれませんね。

投稿: PicksClicks | 2017年7月29日 (土) 17時56分

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