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2004年9月の14件の投稿

2004年9月30日 (木)

「クルドの暗殺者(上/下)」 スティーヴン・ハンター

Kuldo20040930 クルド民族というものにまず興味があった。と言っても、知っているのはサダム・フセインがクルド民族の村で化学兵器を使って虐殺を行った、ということくらいだったのだが。

この本を読んで知ったことなのだが、クルド族というのは人種的にアーリアの血が入っているのだそうだ。つまりいわゆるアジアというかアラブというのではなくて、むしろ西欧系なのだ。目が青かったりするわけだ。それでなんとなく他の中東民族からは違和感を持たれているんだろうか?

クルド民族はユダヤ民族のように国家を持たない民族である。昔は持っていたのかもしれないが、とにかく今はないわけで、クルディスタンと呼ぶその理想郷を今も求めているのだが、アメリカがその野望を利用してフセインを牽制しておきながら、肝心なときになって捨て駒としてしまったという過去がある。先に挙げたクルド人虐殺もそういう流れの中で起こったことらしい(実はよく分かっていないので、間違えているかも)。

そういうわけで、クルド人というのは中東では孤立した人種らしい。あたかもユダヤ人が世界のあちこちで違和感を持たれているかのごとくである。この辺も私がよくわかっていないところなのだが、なぜヒットラーはあれほどにユダヤ人を目の敵にしたのか? そして世界中のいたるところで、いたる分野でユダヤ人が活躍しているのはどうしてなのか? さらには日本人がそのユダヤ人になぞらえられたりするのはどうしてなのか? きっとなにか共通するものがあると思うのだが、単に「出る杭は打たれる」ってことなのか?

この小説は1982年の出来事として書かれているのだが、作者のハンターは「書くのが10年早かった」と述べているそうだ。たしかに中東が世界の火種として注目され出したのは1990年代にはいってからで(そうだっけ?)、1982年と言えばまだ米ソの緊張が続いていた頃ではなかったか(すみません、まだ確認してません)。


一方、私はこの作者のスティーヴン・ハンターの作品をすでにいろいろ読んでいた。ベトナムに於けるアメリカ軍の狙撃兵であったボブ・スワガーを主人公とする「極大射程」とか「真夜中のデッドリミット」などの一連のスナイパーものだ。

こういう銃器ものはえてしてそのメカニズムに捕らわれたテッポウ・ヲタクっぽいモノになりがちだが、この作者の作品はそのオタクの域を超えた水準に達している。具体的にどういうところがかって言うと、まぁ人物描写とか、背景の考察とか、プロットとかかな。

で、その作者がクルド物を書いたということでこの本に注目したわけだが、心配なことが一つあって、それはこの作品がハンターの初期の作品だったのに今まで日本には紹介されずにいたことだ。そういうのって、「ああ、やっぱりね」ということが多いんだな。

やっぱりというか、なんだかクライマックスが妙にはやめにきて、しかも失速している。小説としてはいまひとつの出来だとは思う。でもこれはいい本だ。小説としての出来よりも、リアリティを大切にしているような感じを受けた。リアリティと、小説としての作法のバランスをどう取るかということを試してみたような作品だと言えるのかもしれない。

リアリティと言えば、この作者はおそらく戦争に行ったことがあるのだろうと思う。銃に関する描写が異様にリアルだから。ひょっとしたら本当にスナイパーだったのかもしれないな。

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2004年9月29日 (水)

音楽用CD等の流通に関する懇談会 議事録

62ページもある議事録(pdf)だけど、後の1/3は懇談会で提出された資料だ。まぁ、時間のあるときにでも読んでみて欲しい。

つまり、再販制度によって守られている日本の音楽CDが、さらに「還流防止」という手厚い保護を受けることに関して意見をお聞きしたいという趣旨で開かれた懇談会だが、みんなそれぞれ言いっぱなしになっている。まぁ懇談会だからしかたがないのか。

だいたい、法律を決めるときにちゃんと関係者にお伺いを立てずに強行するからこういうことになるのだ。

経緯はこういうことだ。日本に比べて物価水準が桁違いに安い東南アジアでは、そこでかってもらうためにCDの価格を安く抑えているのだが、そういう安いCDが日本へ戻ってきてしまうと、日本のレコードやさんが売れなくなって困ってしまうから、と言う理由でそういうCDを輸入禁止とする法律を作ってしまって、来年の1月1日からそれが効力を発揮する。

ところが、その法律の作り方も運用方法もいいかげんで、このままでは東南アジアのみならず、世界各地からの音楽CDの輸入も禁止されかねないのだ。

だいたい、日本では世界でも珍しい再販制度というものが音楽/書籍などの著作権対象物に対して運用されている。これはどういうことかというと、生産者が販売者に対して値段を決定する権利を持つということで、これはたしかに弱小出版社が希少な書籍を販売することを保護するには役に立っている。

再販制度がなくなると、レコード/CD店は売れ筋の商品だけを安い値段で多量に販売することになり、店には売れ筋商品しか置かなくなってしまう、というのだ。

いいじゃないか、と私は思う。レコード屋なんてみんな店を畳んでしまえ。本屋も同じだ。自分の欲しいCDをCD屋で見つけるのはむしろ珍しいくらいだし、本を買うならまず検索するのが常識だ。再販制度なんかやめてしまって、ネットワークで買えるようにすれば、再販制度なんかなくてもいいんじゃないのか?

だいたい、先に自分で書いておきながら、再販制度の仕組みがよく分からない。値段を下げないようにすることによって希少な本も流通できる? そうかな? 希少な本こそオークション形式のようにすれば適正な値段で流通できるのではないのか?

おりしも、うちの近所の本屋が10数年の歴史を終えて廃業した。駅前にできた大きな本屋がやはりダメージだったのだろう。本屋の後が何になるかと思えば熱帯魚屋さんだそうだ、そんな商売が本屋よりももうかるとは思えないのだが、まぁお手並み拝見だそれくらい持つかな?

熱帯魚はネットワークで商売するのは難しいかもしれない、ナマものだし。でも本やCDはもっとネットで気軽に買えるようにすれば、再販制度なんてなくてもいいんじゃないのかな? CDの現物を手にとりながら選ぶという楽しみもあっていいんだけど、検索イッパツで「おお、こんなのも出てたのか」というのも新しい醍醐味ではあるぞよ。

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2004年9月27日 (月)

君のために生きる

Aitomakotoirasuto 「きみのためなら死ねる」というゲームの前評判が高いようだ。といっても単にそのイメージソングが先行的にリリースされてネット上で話題になっているだけで、ゲーム本体のほうは全くなぞなのだが。

ところでこの「きみのためなら死ねる」というフレーズは、もともとマンガの台詞だった。ある意味歴史的な作品だった「愛と誠」の中でたしか岩清水とかいうお勉強のよくできる男が主人公の「誠」君と「愛」ちゃんを巡って争うのだが、そのときに岩清水が愛に対して言うキメの台詞だったのだ。ちなみに愛ちゃんは「早乙女愛」という名前だった。誠の方は「大賀誠」だったと思う。

「愛と誠」が連載されたのは少年マガジンだったかな? 当時はギャグマンガ全盛の時代で、「愛と誠」のような純愛路線というのはちょっと考えられなかったので、私なんかはこれが始まったとき、きっと途中でずっこけが入るものだと期待して読み続け、その週ではついにそういう場面がなかったので、「次週まで引っ張るのか、凝ってるなぁ」と思っていたのだった。

で、この「愛と誠」は原作がたしか梶原一騎だ。私はこいつが大嫌いなので、「愛と誠」も話としては大嫌いだった。従って「君のためなら死ねる」という梶原フレーズも鳥肌が立つくらいに嫌いだ。

「きみのためなら死ねる」というのなら、「じゃぁ死んでみろよ」と突っ込みたいところだが、もしも本当にそんなこと(死ねる)言われたら、それは言えないでしょう。そこまで見越していっているので、衝撃的であるようで実はなんの意味もない言葉なのだ。果たされることのない約束だ。

男:君のためなら死ねる。

女:じゃぁ死んで、今すぐ死んで、ウザイからあたしのために死んで。

男:いや、そういうんじゃなくて、ちゃんと君のためになるカタチで死にたいから、そんなのはいやだ。

女:じゃぁ、仕事の関係で死体がひとつ必要だから死んで。

男:いや、それってきっと君のためにならないと思うんだ。そういうカタチでは死ねないな。

女:じゃぁ、どういうカタチならいいの?

男:例えば通り魔から君を守るためにずっと君と一緒にいてあげるよ。

女:それがウザイって~の。


それよりも、「君のために生きる」という方がよほど重みがあると思うのだ。なにしろ死ぬのは一回きりだが、「君のために」生き続けるということを約束するのは、これは重いよ。

もしもあなたが「きみのためなら死ねる」と言われたら、「そんな怖いことは言わないで、それよりも私のために生きることを考えてください。」と言いましょう。その方がずっとお得です。

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2004年9月20日 (月)

ゆで蛙

熱湯の中に蛙を入れると、あっちっち、というわけですぐに飛び出すことだろう。

しかし、蛙を室温の水の中に入れて徐々に温度を上げていくと「う~ん、なんだか熱いかなぁ?」と思っているうちにタイミングを逃してしまい、ゆで上がってしまうんだそうだ(誰がそんなことやったんだろう?)。やばいと思ったときにはすでに体が動かなくなってしまっているということなんだろうな。

日本のプロ野球もそういう感じなんだろうと思う。NPB(経営側)にはもう当事者能力がない。問題を解決するどころではなくて何が問題であるかを感知する能力もないのだから。

おそらく来週末にもストは行われることだろう。選手会側はNPBの誠意を求めてスト行うわけだが、NPBには誠意なんてものは全くないのでこれは解決しないよ。

根来コミッショナーが職場放棄してしまったので、これでもう調停できる人がいなくなってしまった。この状況を打開するには、何が問題であるかをちゃんと理解して長期的な視点から問題解決に取り組む人が権力を握らないとどうにもならない。

このままだと。日本のプロ野球は本当におしまいになるぞ。まぁ私はそれでもかまわないんだけどね。メジャーリーグ見るからいいや。

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2004年9月19日 (日)

人の話を聞く

「戦略的傾聴」っていう言葉があるくらいで、ことほどさように「聞く力」というものは重要なのだ。人の思っていることをちゃんと聞き出せれば、たんにその情報を得られるということだけではなく、「聞き上手」というあなたの評判は別の意味での効果をもたらすことでしょう。

しかし、だ。世の中には人の話を全く聞かないがゆえに成功する人もいたりする。こういう人が「聞き上手」の上に立ってしまうとこれはなかなか悲惨なことになる、かもしれない。

というのが、最近の自分を顧みて思うことだったりする。

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2004年9月17日 (金)

シミュレーション

Baseball20040917 プロ野球選手会とNPBとの交渉が決裂していよいよストライキ突入ということになった。本来5時だった期限を2時間伸ばし、さらに2時間伸ばしての交渉だったが、7時の段階で決められなかったものだろうか。

それはいいとして、気になるのは「セ・リーグ6チーム、パリーグ5チームで来期の収入をシミュレーションする」という話。

だいたい、シミュレーションなんてのは期待される結論を補強するために行われることが多いので、ほとんどのシミュレーションは「騙しにかかっている」と考えて間違いない。

シミュレーションはしょせん模擬試行である。実際には行えないことを、それにできるだけ近い環境のもとで疑似実行するのだが、その「できるだけ近い環境」というのがくせ者で、ここでさまざまな取捨選択が行われて、期待される結果へとねじ曲げられるわけだ。

例えば机の上を転がっている500円玉が机の上から落ちて床の上で弾み、裏が出るか表が出るかを厳密に計算することはできるが、それは「空気抵抗はゼロとする(つまり風の影響は考えない)」、「床の反発係数はすべての場所で一定とする」とかいう前提条件が付くわけだ。

だから、今後もいろんな「シミュレーション」が来年のプロ野球を占うものとして提出されるだろうけれども、騙されちゃ駄目だよ。イチローがどういうタイトルを取るかとか、両松井が、野茂がどういう活躍をするかということの影響もちゃんと考慮しないとね。

つまり、日本の野球ファンの興味はどんどんアメリカノメジャーリーグへ移っているよ、そのこともぜひシミュレーションの要素に入れていただきたいってこと。

この間もマリナーズの試合を見ていたら、アウエーの試合なのにホームベースの後ろの広告が日本語だった。これってすごいことだと思う。日本野球機構はこういうこと知ってるのかな?

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2004年9月16日 (木)

Legend of Jazz Guitar Vol1

Jazzguitar20040916 Amazonで「Legend of Jazz Guitar Vol1」を買ったのが今日届いた。ボーナストラックとしてWes Montgomeryのベルギーでの録画が5本入っているのだが、実はこれが目的だったりする。包みを開けて真っ先にこれを見た。やっぱりWESはすばらしい。なにがって、ソロがメロディアスだとか、ダイナミックだとか。

Volume1には他にもジョー・パス、バーニー・ケッセル、ハーブ・エリスが出演しているのだが、やはりWesは群を抜いている。

Wesの画像は1965年のヨーロッパ・ツアーの時に録画されたイギリスでも録画(jazz625という番組のための録画)があって、これはもちろんビデオが出てすぐに買った。今回のベルギーのもたぶんTVのための収録だろうがイギリスのよりも画面の構成が好ましい。Wesの指使いもこっちの方がよくわかる。

こうなるとがぜん気になるのがこのシリーズの別の作品だが、VOL2ではWesとバーニー・ケッセルの他にケニー・バレルやCharlie Byrdが入っていたり、VOL3にはタル・ファーロウとかパット・マルティーノとかJim Hallが入っていたりする。

で、こうやって並べていくと、私の好きなギタリストや嫌いなギタリストなどがいて選択に困ってしまうのだが、Vol2はパスでVol3は買いかな?

折しも雑誌Guitar Magazine(2004年10月号)では「今度こそWesを弾く!」と言う特集がはられていたりするのだった。

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2004年9月14日 (火)

思川

Omoigawa20040914 「思川」という名前を地図上に発見したのはもうずいぶんと前の話だ。友人たちとバイク3台で思川沿いの山道をバイクでさかのぼり、峠を越えて反対側の足利までツーリングしたのだった。

峠手前の登りの途中でわき水を見つけて飲んだのだが、これがとてもうまかった。近くに銅山があるのだからひょっとしたら銅イオン(猛毒)でも入っていたのかもしれないのだが、まぁ大丈夫だったんだろう。

我々が水を飲んでいるときに皮ツナギを着たライダーが一人、CB750にのって峠へ向かってかっ飛んでいった。

私の提案で我々は峠からの下り道をエンジンを切って下ることにした。チェーンのシャリシャリという音とともに坂を下っていくとさっきのCB750が下りの途中で休んでおり、異様な音とともに下っていく我々を不思議そうに眺めていた。


今日、そんな思川で子供の遺体が発見された。

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2004年9月12日 (日)

Gothika

Gothica20040912 「ゴシカ」と読むらしいが、それってなんのこと? わからないけどまぁ関係ないだろう。

ハル・ベリーとペネロペ・クルスが出演するサイコ・ホラーっていうのかサイコ・サスペンスっていうのか、まぁそういうものだけど。洋もののホラーってのは当然ながら日本ものとは恐怖の対象とかその描き方が違うわけなんだけど、ここのところハリウッドもどうやら試行錯誤というのかな、日本的なものを取り入れようとしている過渡的な状況のような気がする。

「霊」というものの扱いがよく分かってないのだと思う。日本ものだと「霊」というものがどういうことをしそうであるか、どういうことをしそうでないかということが作り手と観客の側とで共通の意識というものがあるんだけど、最近のアメリカものホラーではそこんところをうまく共有化できていないように見える。

これはきっと、「リング」をハリウッド化するあたりから始まっているんだろう。日本的な「霊」をハリウッドの制作者はなんらかの形(それはたぶん日本のものとは違っている)で理解しているのだが、それを観客と共有するには至っていないのだろうと思う。

だから、「ゴシカ」も「サイコ」を頭に付けないとハリウッドのフォーマットにならないのだ。そこへ持ってきて「霊」の扱いがまだぎこちないので、「一流の俳優を使ってB級映画を作った」というふうなことを言われてしまう。


昔のハリウッド・ホラーはひどかった。いやつい最近でも実につまらないのが多かった。「怖いぞ怖いぞ」と思わせておいて、実際にその「怖いもの」が正体を現すと(日本人なら)笑ってしまうようなものが多かった。なんだちっとも怖くないジャンってね。


ゴシカはハリウッド・ホラーが日本のホラー映画の影響を受けて変りつつある所を見せているという点でこの時代を象徴するものである、と後に言われる作品であるという気がする。今の時点では「(日本の基準からすると)ちょっと中途半端かな?」というのが感想だ。

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2004年9月11日 (土)

ペイ・チェック

Paycheck またDVD借りてきちゃったよ。もう何借りていいか分からないからってこんなの借りちゃったよ。

で見始めるとおもしろいじゃないか。でも、あれ?どこかで見たようなネタがいろいろあるなぁ。シャレードのアレとか、キルビルのアレとか。ああっと、この男二人が拳銃突きつけあってるシーンってどこかで見たぞ。それに基本的なコンセプトも9/11(あ、今日だ!?)でよく議論になっているアレじゃないのかな。

・・・とか思ってたら、なんか肝心なところで話の進みが遅くなったり(なんでそんな無駄なことするよ?)、白いハトが飛ぶ。ああ、これってひょっとして・・・ああ、やっぱり監督がジョン・ウーだった。

これ、監督が別の人だったら別のおもしろさが出たんじゃないかな。まぁ、ジョン・ウーだからおもしろくなっているというところもあるんだろうし。

で、よく分からないのがユマ・サーマンだ。この人って、美人?っていう扱い? 最後まで見終わってから思うと、やはりヒロインという位置づけなんだけど、この人は美人? それともこの人も「あたしが美人よ」ってタイプなのかな?

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2004年9月10日 (金)

美人の条件

条件って言ったって、そんなもの人によって違うだろうし普遍的な条件なんてあるわけがない。当然だ。

で、みんながどこにあるかもわからない、だれが決めるわけでもないものを求めて右往左往するわけだが(だと思っていたんだが)、そもそもそういう考え自体もう古いようだ。

はいはい、どうせ私は古いですよ~だ。

「最近の女の子は化粧がうまくなったが、やはり素顔で綺麗な人がいいなぁ」と言ったら「素顔に見える化粧もあるのよ」と言われて目からうろこっていうか、もうそこまで来てるんならもうしかたがないなぁ、と思うようになった。

で、そんななかで、何が基準なんだかわからなくなっている「美人の条件」なんて全く気にせずに「あたしが美人よ!! あたしこそが美なのよ!!」と主張しているのが浜崎あゆみとそのスタッフのような気がするのだが、これは気のせいだろうか?

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2004年9月 5日 (日)

DogVille

Dogville どうしてこのDVDを借りる気になったのかよくわからないのだが、ニコール・キッドマンが気になったのかな? それともサスペンスとか書いてあったのが気になったのかもしれない。

しかし、この映画177分だ。3時間に3分足りないだけだ。こんなに長い時間が必要なのか? というと、やっぱり必要だったのかも、と見終わってから思う。

のっけから、舞台装置のような画面に驚かされるが、この簡略化されたセットになった理由はスタッフロールの背景を見ればわかる、ということかもしれない。

最後の結末はショッキングなものだが、私は容易に受け入れることができた。そうなればいいと思っていた通りになったので気持ちよかったくらいだが、出演者たちはそれに対して神がどうとか人間性とかいろいろと理由をつけた結果、結局なんだかこじつけのような理由で決断を下す。

きっと、西洋的な考えでは、これは非常に重いテーマなんだろう。日本人が彼らと同じ目でこの映画を見ることは難しいのかもしれない。我々は西洋文化になれ親しんでいるつもりになっているが、実のところ神とか宗教が出てくる時点でついていけてはいないのだ。

同時に(っていうか、この映画はもちろん西洋人向けなので)、この映画は西洋文化の矛盾というのかそういうものをえぐり出すのが目的となっているんだと思う。田舎町の素朴な人々に染み込んでいる西洋的なものの奥底に潜んでいる、なにか容認できないものの存在を指摘しているんだろう。

それにしても怖かったのは「これは君のためなんだよ」と言いながら行われる虐待の数々だ。私も自分では気がつかないうちにそんなことをしているのだろうか?

というわけで、☆三つです!!

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2004年9月 4日 (土)

ノートPCとの戦い

Letsnote20040904 ジャンク屋でレッツノートを見つけた。Let's Noteはいまでは少なくなったトラックボール付きのノートPCで私はパッドよりもこちらの方が好きなのだった。メモリも32Mしかないし、HDDも1.6Gしかないのだが、ちょこちょこ遊ぶには都合がいい。CPUもMMX166ということで、MIDIのソフト音源も動作しそうだ。

程度はいい感じだったが、CDROMドライブがないことと、HDDを外すのがめんどうそうだったので逡巡していると、9800円と言う値段が付いているのを8000円まで安くしてくれた。

どうしてHDDを外すことが問題になるのかというと、つまりOSが全く入っていないので、インストールイメージをどうやって読ませるかという問題なのだ。HDDを外せれば、べつのPCに接続してそこでインストールイメージを書き込むことができる。

秋葉原あたりで同じような質問をすると、「PCカードで接続するCDROMドライブのドライバをDOSでインストールすればいいのです。」とかいうのだが、本当にやったことあるのか、それ? それってそう簡単には行かないと思うんだけどなぁ。PCカードのドライバとかイネーブラって、ハードウエア依存だから、どこでも必ず動作するというものでもないと思うし。

まぁそういうわけで電源と外付けFD付きということで買って帰ったのだが、やはりHDDが簡単に外れそうにない。それでもいいのだ。

私には秘策があるのだ。それはINTERLINKという技。2台のPCのパラレルポートをInterlinkケーブルという特殊なケーブルで接続してファイル転送ができる。片方のPCを外部HDDのように扱うことができるのだ。これはDOSのversion5からある技なのだが、知っている人はそう多くないし、いまでも使える人はそういないかも。大体Interlinkケーブル持っているひとはそうそういないと思う。

まぁそういうわけなので、ライセンスの余っているWIN98をこのPCに送り込んでインストールすると、難なく立ち上がった。

たちあげてLANカードをインストールし、ネットワークにつなげていろいろとインストールする。IEも6.0SP1にして、Windows Updateを食らわせる。

しかしそうこうしていると、やはりメモリが足りないって感じが徐々に大きくなってくる。たしか32Mのモジュールが一枚余っていたはずなのだが、どこに行ったか出てこない。

とり急ぎ、別のジャンク屋へいって32Mのモジュールを買ってくる。600円。64Mだと3000円近くする。

で、だ。メモリを増設しようとしてキーボードを開けたときにその悲劇が襲ったのだった。

このPCは普通本体裏面から行うHDDやメモリモジュールのメンテナンスをキーボードの下で行う。そのためにはキーボードを外して持ち上げるのだが、それが今回問題になったわけだ。

キーボードをこじって外そうとしたとたん、キーボード手前のキートップがいくつか吹っ飛んだ。具体的には手前左のFn、Ctrl、ALTキーとスペースバーの右にある「変換」キーだ。

「変換」キーはへこんでる(バネの役目をしているゴム接点がどこかへ飛んでいった)。

コントロール・キーを外してみると支柱が折れてる。

でも使えなくもないかな? というわけでだましだましなんとか使えるようにしてみた。「変換」キーのゴムもなんとか探し出した。ゴム接点が吹っ飛んだときにはすっかり落ち込んでしまったのだが、なんとかキーボードは使えるようになった。折れた支柱もヘタに接着しなくてもなんとか使えている。

さて次は無線LANだ。これが難ものだった。手持ちの無線LANカードはたいていCARD-BUSインタフェイスで、Windoes98SEを要求する、ところがこのPCはCARD-BUSより古いPC-CARDインタフェイスで、しかもOSはWindows98だ。

そこでパナソニックのサポートに電話してみる。いろいろ聞いてみた結果、CARD-BUSサポートはBIOSの設定でなんとかなりそうだ。しかし、このPCはもともとWIndows95用で、98にアップグレードするときにはWin98アップグレードキットというものが必要なんだそうだ。パナソニックのサイトからダウンロードすることもできるのだが、420円出せば送ってくれるということでいったんはお願いしたのだが、あとから電話がかかってきて、理由は忘れてしまったが、駄目だということになってしまった。なんだったんだったかなぁ?

そういうわけで、鬱々としつつヨドバシカメラの無線LANコーナーを見ていると、「PC-CARD対応、Win98対応」というカードがあった。COregaのPCCL-11と言うものである、早速レジへ持っていくと「今現物がございません。取り寄せになります。」まぁいいか、取り寄せてもらおう。

というわけで、このPCには3機種目の無線LANカードを搭載。インストールしていろいろ苦労の挙げ句なんとか動作するようにはなったのだが、電源を入れるたびにAP検索をしないといけない。自分で自動的に接続してくれないのだ。まぁそういうものかと思っているんだが、なんとかならないものかなぁ? 最新のドライバに交換しても状況変らないし。

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2004年9月 3日 (金)

パット・メセニー

Metheney20040903 あまり好きではない人のことについて、人と話することはあまりないもんだ。そりゃ盛り上がらないよね、相手はひょっとしたらその人のことを好きかもしれないのに。

ジャズ・プレーヤーで私の好きじゃない人は何人かいる。一番嫌いなのはさる女性ボーカリストで、この人の声がもう生理的に嫌いだ。一言で言うと「萎える」。

パット・メセニーは実を言うとそんなに嫌いではない。うまいと思うし、特に最近の作品ではずいぶんと見直したということもあった。Quiet Nightという最近の作品では彼の生ギターソロというフォーマットでとてもいい感じだった。でもそのCDが最近見当たらないんだなぁ。なんで好きなCDとか必要なCDROMがなくなるわけ?

メセニーの何が嫌いかというと、その破綻のなさなのだ。「ああ、上手にまとめましたねぇ」「やっぱりそうなるのか」「ソツがないねぇ」という感じ。スリルがないというのか、とにかくおもしろくないのだ。これを私は「予定調和」という言葉で表現したい。枠から外れることなく、安全にストンと着地するのだ。はい10.0! めでたしめでたし。

なんでメセニーのことを思い出したかというと、今日買ったCDに彼が参加していたからだ。アルバムはジャック・デジョネットの「Parallel Reality」並行現実感? ちょっと立ち寄った中古CDの店で見つけた。ジャケットの外側だけ見たのではメンバーがわからなかったのだが、他に陳列されていたビデオテープのデザインから類推してハンコックとメセニーの参加したベースレス・トリオらしいことはわかった。それでもかって見ようと思ったのはデジョネットが好きだったから。

内容は、やはりメセニーが幅を利かしていて、やはりリード楽器としての存在感を表したいのか、ばりばり弾いている。例の音色だし、それに加えて多重録音でメセニー・グループの特徴でもあるシンクラビアっていうのか、あのシンセをばりばり弾いている。おいおい、それって、メセニーグループのキーボードの人が弾いてるのじゃなかったのか?

このギターの音色と、シンクラビアのおかげで、すっかりサウンドがメセニー・グループだ。リーダ/プロデューサーのデジョネットが怒ってるんじゃないの?

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