「クルドの暗殺者(上/下)」 スティーヴン・ハンター
クルド民族というものにまず興味があった。と言っても、知っているのはサダム・フセインがクルド民族の村で化学兵器を使って虐殺を行った、ということくらいだったのだが。
この本を読んで知ったことなのだが、クルド族というのは人種的にアーリアの血が入っているのだそうだ。つまりいわゆるアジアというかアラブというのではなくて、むしろ西欧系なのだ。目が青かったりするわけだ。それでなんとなく他の中東民族からは違和感を持たれているんだろうか?
クルド民族はユダヤ民族のように国家を持たない民族である。昔は持っていたのかもしれないが、とにかく今はないわけで、クルディスタンと呼ぶその理想郷を今も求めているのだが、アメリカがその野望を利用してフセインを牽制しておきながら、肝心なときになって捨て駒としてしまったという過去がある。先に挙げたクルド人虐殺もそういう流れの中で起こったことらしい(実はよく分かっていないので、間違えているかも)。
そういうわけで、クルド人というのは中東では孤立した人種らしい。あたかもユダヤ人が世界のあちこちで違和感を持たれているかのごとくである。この辺も私がよくわかっていないところなのだが、なぜヒットラーはあれほどにユダヤ人を目の敵にしたのか? そして世界中のいたるところで、いたる分野でユダヤ人が活躍しているのはどうしてなのか? さらには日本人がそのユダヤ人になぞらえられたりするのはどうしてなのか? きっとなにか共通するものがあると思うのだが、単に「出る杭は打たれる」ってことなのか?
この小説は1982年の出来事として書かれているのだが、作者のハンターは「書くのが10年早かった」と述べているそうだ。たしかに中東が世界の火種として注目され出したのは1990年代にはいってからで(そうだっけ?)、1982年と言えばまだ米ソの緊張が続いていた頃ではなかったか(すみません、まだ確認してません)。
一方、私はこの作者のスティーヴン・ハンターの作品をすでにいろいろ読んでいた。ベトナムに於けるアメリカ軍の狙撃兵であったボブ・スワガーを主人公とする「極大射程」とか「真夜中のデッドリミット」などの一連のスナイパーものだ。
こういう銃器ものはえてしてそのメカニズムに捕らわれたテッポウ・ヲタクっぽいモノになりがちだが、この作者の作品はそのオタクの域を超えた水準に達している。具体的にどういうところがかって言うと、まぁ人物描写とか、背景の考察とか、プロットとかかな。
で、その作者がクルド物を書いたということでこの本に注目したわけだが、心配なことが一つあって、それはこの作品がハンターの初期の作品だったのに今まで日本には紹介されずにいたことだ。そういうのって、「ああ、やっぱりね」ということが多いんだな。
やっぱりというか、なんだかクライマックスが妙にはやめにきて、しかも失速している。小説としてはいまひとつの出来だとは思う。でもこれはいい本だ。小説としての出来よりも、リアリティを大切にしているような感じを受けた。リアリティと、小説としての作法のバランスをどう取るかということを試してみたような作品だと言えるのかもしれない。
リアリティと言えば、この作者はおそらく戦争に行ったことがあるのだろうと思う。銃に関する描写が異様にリアルだから。ひょっとしたら本当にスナイパーだったのかもしれないな。
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