著作権とコピーライト
著作権ってのはめんどくさい話だ。創作物に対する権利なのだが、表現に関する権利だから、その後ろだてとなる思想とか技法とかアイディアというものは全く問題にならなくて、単にその表現だけが問題となる。このへんをもうちょっと突っ込んでいくとおもしろいんだけど今回はそういう話じゃないので。
で、創作ってことになると新奇性とか独創性とか言う話になってわけが分からなくなる。しかし、別に審査があるわけでもなくて、例えば私がここに書くようなことも特に何を宣言することもなく著作物として存在することができるのだ。
そういう著作物を守るために財産権とか人格権とかつまり誰がそれを自由にできるかということについてまためんどくさいことがあるのだが、欧米ではこういうややこしいものではなくてコピーライトというものでコントロールされている。
コピーライトとは、そのまま「複製を作る権利」である。これは話が簡単だ。印刷物にしろ絵にしろ音楽にしろ複製することによってビジネスが生まれ、その複製を行う権利によってビジネスがコントロールされる。
思えば、LPを買ってそれをいそいそとカセットテープに(個人で楽しむために)コピーし、LPを傷つけないかわりに音質の低下を容認するという音楽生活を送っていたころは幸せだった。LPの複製を作るということは誰にでもできることではなく、メーカーがその権利だけでなく技術をも独占していたのだ。
ところがいまや時代はデジタルとなり、音楽を品質低下させることなくコピーする技術がメーカーだけのものではなくなり、PCを使えば誰にでも簡単にできるようになったために話がややこしくなってきた。
コピーコントロールCD(CCCD)なんていうおかしな技術によって音質を低下させてまでコピーを防止しようとしたり、PCにダウンロードした音楽はコピーできずに「移動(コピーするともとのものは削除される)」することしかできなかったりという、ある技術を無効にするための技術というネガティブなものに頭をひねらなければならないという時代になってしまった。
しかし、だ。コピーライトをそういう業界が独占するというのはつまり音楽なり画像なりデジタル化することによって利益を得ている業界がデジタルな技術をも独占するということだ。これっておかしくないか?
技術が発達してコピーライトで保護されていたものを保護するのが難しくなってきた。あるいはコピーするコストが下がり、またコピーする技術が一般に普及したにもかかわらずその技術と機会を独占しようとしているのだ。
これはひとごとじゃないよ。今総務省が一生懸命になって推進しようとしているTVのデジタル地上波放送が始まると、放送されるコンテンツは「コピーワンス」といって、一回しかコピーできなくなる。これはどういうことかというとTV放送をHDDレコーダに録画するとそれでもう一回コピーしたことになるから、それ以上コピーはできないのだ。大好きなお笑い番組を保存版のDVDとして残そうとしても、それはもうできなくなる。そういうのは別途買ってちょうだいね、というわけだ。
そんなのありかよ。技術が発達しているのに不便になるというのはどうしても承伏できないぞ。デジタル地上波TVなんてポシャってくれることを心から願うものである。世の中の流れというものは最大多数の最大幸福ということになっておるのだから。
(TV見ながら書いたので、なんだか変です。すみません。)
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コメント
今回もわかりやすかったですよ。
コピーワンスの番組をコピーする裏ワザを
誰か早く開発してください。
投稿: choco | 2004年10月 7日 (木) 23時15分