宇宙消失
あるひとから本をいただいたのだが、これがなんとハードSFである。
昔からSFは好きだったが、ハードSFはなんとなく避けてきた。なんとなく、ではなくてつまり、理論の強引な押しつけが鼻に付くっていうのか、納得できないっていうのか、理窟に付いていけないというのか。
もともと、フツーのSFも避けるようになったのは「XXXX星人にとって、水は猛毒だったのだった」みたいなオチに辟易していたからで、そういうロジックがもっと理屈っぽくなったのがハードSFだという理解があるからだ。それは印象として今も変っていない。
さて、「宇宙消失」だが、読みはじめてすぐに不確定性原理のネタだな、と思った。読み進んでみると、私の思ったのとは違う形ではあったがやはり不確定性原理の話だった。
それよりも先に目に付いたのが「モッド」というしかけだ。このしかけは著者であるグレッグ・イーガンが著作の中で多用しているものらしいので、ここで説明してもネタバレにはならないだろう。
モッドというのはクスリのようなものだが、体の中で化学作用を起こすのではなくて、神経そのもの似物理的に働きかけるナノマシンなのだ。そのナノマシンを脳のしかるべきところへ運ぶにはそのために開発されたアメーバを使って、というから徹底している。
まぁ、そんなこんなでてんやわんやになるのだが、どうも最近のSFってのは夢がなくていけない。
思うに、SFは1980年代の終わりにはすでに行き詰まっていたんじゃないかと思う。生半可なSFはすでに科学技術によって追いつかれていて、科学技術によって追いつかれまいとするSFはハードSFにならざるを得なかったのではないか、と思っているわけだ。
1960年代のSFは幸せな時代だった。当時の科学技術はSFを実現するために存在したと言っても・・・言いすぎだが、手塚治虫が描いた高層ビルの間を縫うように走る高速道路というのは本当に実現してしまったものなぁ。こういったSFに出てこなかったのはケータイ電話だけだと思う。実生活のちょっと先を提示するものとしてのSFは夢のあるものだったし、リアリティも十分に感じられた。タイムマシンものにしてもなにかしらリアリティがあったものだったが(タイムマシンものと言えば広瀬正の「マイナス・ゼロ」が世界一である)今はそれにとって替わるのが惑星間飛行とか量子科学の話なんだろう。
ハードSFというのは難しい。書くのも読むのも、だ。書く方にしてみれば読者がどこまで付いてきてくれるか不安だろうし、読者も作者がどこまで行ってしまうのか、あるいはその前に作者がどういう読者を想定して物語を書いているかということが気になってしかたがないだろう。
「宇宙消失」についても、私の考えた不確定性理論の応用というのは特定オブジェクトの確率的な存在を制御することによってつまり「どこでもドア」を実現するというものだった。この予想は裏切られるのだが、確率を制御する(モッドで)というあたりがおもしろいと言えばおもしろいが、これは一般ウケしないんじゃないかなぁ?
というわけで、「ハードSFというのはやはり特殊な分野で、なかなか一般人は入っていけませんでした。」というふうな感想になってしまいました。
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