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2005年7月の7件の投稿

2005年7月31日 (日)

亡国のイージス

Egis20050731 このタイトルを見たときには、イージスが国を滅ぼすのかと思った。

でもそうじゃなくて、日本という国はすでに亡国(死んだ国)であって、その国に属するイージス艦という意味のタイトルなのであった。

この日本という国を、「国としての形を成していない」と言い切るのはちょっとどうかと思うし、作者の思惑がどうなのかは知らないが、むしろ民族主義的な風潮へ走ってしまう方向へ働くような映画のような気がするのだが。

で、見てきて思ったのは、エンタテインメントとしてはおもしろかった、ってことか。

でも、なんだかぜんたいの編集をハリウッドに任せたとかいうのが気になっていて、導入部なんかまるで予告編のような作りが気になった。内容の編集でもいろいろとうなずけないところがある。あの人物(ネタバレ防止のため、特定することはしない)はいったいなにしに出てきたのだ? というのがあったり、編集が乱暴でツメが甘いような気がした。

調べてみると、その意味不明の人物はマンガのほうではキャラが立ってたらしい。よく知らないんだけど。

原作は小説なのだが、映画化よりも先にマンガになって、それから映画になる。たしかに日本はマンガの国だが、ちょっとそれに頼りすぎなような気もする。この話もてっきり「かわぐちかいじ」原作かと思ったくらいだ。

ここに掲げた写真もいかにも「かわぐちかいじ」ふうなカットだな。

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2005年7月11日 (月)

”KI” as an unconscious Religion

Ki20050711 "KI" is often translated as "mind" but it is right but not enough to understnad how Japanese people depend on it. "power of mind" might be rather close to what Japanese feel when they talking about "KI".

Actually, Japanese people exchange "KI" like as the money and alway calculate the balance sheet about the "KI" he paid and he recived. "KI" is the religion which most of Japanese people does not recognize. Many Japanese might answer "I have no religion" when he is asked his religion but he HAS religion of "KI" which is based on Buddism.

Anyone who does not understnad exchanging KI will be called "GAIJIN" and treated as "GAIJIN" who will not count the "KI" he pays and he receives.

When you start learning Japanese language, you will find Japanese use the syllable "KI" in most every minuites because there are many Japanese word which is related to "KI".

I think "KI" is the most important word or word-radical to understnad the Japanese mind but I could not find any discussion about "KI" itself. There are many discussion about "KI" as a part of some fighting spirit. It is also right in ansense but not enough too.

I would like to make some discussion about "KI" here when I find something related.

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2005年7月10日 (日)

カレーマヨネーズ

車の中でFMを聞いていたらこんな話をしていた。

インドの正直者「ラジ」さんはある日、マヨネーズにカレーを混ぜてカレーマヨネーズを作り、それをキュウリに付けて食べるととてもおいしいことに気がついた。

なので、彼はこの事実を近所のひとには秘密にしようと考えた(インド人の考えることはよくわからない)。

だから、近所のひとに「なにを食べてるんだい?」と聞かれたとき、彼は「カレーマヨネーズなんか食べてないよ」と、生まれてはじめてうそをついたのだった。

・・・と、これがキューピーの宣伝だったとは・・・。

で、気を取り直してWEBで検索をかけると、なんだかすごくまずいという話が一杯出てきた。よくみると私は「カレー・ヨーグルト」で検索をしていたのだった。森永のカレー・ヨーグルトはあちこちでネタになるほどまずいらしい。これはぜひ食べてみないといけない。

一方、カレー・マヨネーズは(そういう製品はないようだが)、普通においしいらしい。

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2005年7月 9日 (土)

博多ラーメン

Fukunoren_1 ラーメンのことはよく知らなかったのだが、博多ラーメンは豚骨スープで(それくらいは知ってる)、細麺が特徴なのだそうだ。麺は細い方が好きなので、これは好きになりそうだ。

ということはさておいても、看板のロゴにえがかれた子供の絵がとてもかわいかったので激写。口元がかわいんだけど、このサイズではちょっと難しいかも。

「福のれん」溜池店で。

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2005年7月 6日 (水)

しし座流星群(1998年)

1998年11月16日から17日にかけて、しし座流星群を日本で観測することができました。私はちょうどその時フランクフルトから日本へ帰ってくる途中で、機上から流星群を見るというチャンスに恵まれたのです。

その時に書いたものが出てきたのでここに再掲します。初出はnet-be、そののちNIFTYにも転載しました。

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 日本時間16日07:30フランクフルト発のJL408便で先ほど帰ってきました。流星群のピークは外していますが機内で観測できましたので報告します。

 フランクフルトのJALチケットカウンターで、「操縦席の見学はできますか?」と聞いてみるが、「それは私どもの方ではちょっと・・・。スチュワーデスにお申しつけください。」とかわされてしまう。

 搭乗して、2階席へ付くとすぐに担当のスチュワーデスさんに話を持ちかける。「操縦席の見学は・・・」「ええたぶんOKだと思います。身分証明のようなものをお持ちですか?」「いやあの、実は操縦席を見たいわけじゃなくって、しし座流星群というのをですね・・・。」「ああ、その話なら聞いています。一カ月前から話題になっていまして、私はこのフライトを楽しみにしていました。」「でもピークは明日なんですよね?」「ええ、でも、今日でも出発して2時間くらいあたりで見えるんじゃないかとパイロットが申しておりました。機体の右側の方に見えるんだそうですよ。お席はどちらですか?」「あいにく通路側なんですよ。」

 しかし、私の隣の席とのそのとなり(窓際)にはまだ誰も来る様子がない。

「私の横の窓際は空いているんでしょうか?」「さぁ、ちょっと見てみましょう

か。」

 とちょっとしてから「大丈夫みたいですよ。」

 いろんな客が席を代えろとかいろいろ言う中で、私のそばの窓際の席を守ってくれたらしい。そういうわけなので、窓際から通路までの3席を一人で占有することになったのであった。

 現地時間20:50出発のはずが、ちょっと遅れて21:10に出発。1時間40分後にはエトアニア上空を通過するというアナウンスがあった。今、21:30だ。バッテリを節約しながらその時を待とう。

 さて、現地時間23時ころになって、窓の外を眺めるのだが、これは首が痛いばかりである。機内が明るいために、窓に写るは私の顔ばかりである。上の方に見えるのだろうと思っているから窓から見上げたいのだが、そうするためには顔を窓よりも下にさげねばならず、そうするとシートベルトがおなかに食い込んで苦しくなってくる。

 気がつくと、窓から正面の方向に薄ぼんやりとカシオペア座らしきものが見えている。こんなに大きいのか?こんなに低く見えるのか?これはちょっと謎だ、などと考えていると、窓から見て低い方向で何か光ったような気がする。23:27(日本時間17日07:27)ごろである。

 今のが流星だろうか? 目を凝らしてさっき見えたあたりを凝視するが、やはりまわりの光が邪魔で見えない。しかしたしかに光ったのだった。

 その後、2~3分に一つくらいの割合でぽつぽつと光が見え始めた。スチュワーデスのHさんに報告すると、機長席に問い合わせてくれて「たしかに流星だそうですよ。」ということである、やったね!

 そのうちに、機内の照明がやや暗くなり、少しは見やすくなって、2~3分に一つくらいは必ず見えるようになってきた。光っている時間はだいたい0.2~0.5秒くらいだろうか。.5秒も光っているのはそんなに多くはないのだが、0.2秒前後というのが多いようだ。そのうちに照明が完全に落とされ、機内が暗くなると不自然な姿勢をしなくても無理なく見えるようになる。


 流星の数も20個を超えたくらいでそろそろ飽きてきたので、Hさんの所へ行き、「操縦席見学の方はどうなりましたか?」と聞いてみる。「あ、ちょっと聞いてきます。」「何か身分証になるものはお持ちですか?」「パスポートがありますよ。」などあったあと、「お名前を確認させてください。」「航空機関係のお仕事ですか?」「いや、ただの飛行機好きのシロートです」などのやり取りがあった後、操縦席へ。どうやら先の話の中で私が操縦席へ行くのは辞退した事になっていたらしい。それはそうかも。

 操縦席って、案外視界が悪くて、窓の縦のサイズは40cmくらいしかない。左右はもちろん200゜くらいはある。そして、おおこれがグラス・コクピットか。つまり昔風のメーターがいっぱい付いた計器盤ではなくて、GUIになっているわけですね。

機長さんと飛行機のはなしとか、今の進路が076でちょうど真右の方向にモスクワがあるとか、もうすぐ左へ15゜転進するので061になるとか、すぐ前にロンドン発のJL402便が飛んでいて、もうすぐ見えるとか、流星が下に見えるのはなぜだろうとか話をしているうちにも流星がぽつぽつと落ちていく。

 機長さんがおっしゃるには、「明日は前線が通過して晴れるし、あなたも時差ぼけで夜中にめが覚めるだろうから、東京でもたっぷり見えますよ。」ということなのだが、しかしこんなチャンスを逃す手はないだろう。

 もっと見ていたかったのだが、そばにぴったりついていたHさん(保安上の意味があるのだろう)が「もうそろそろよろしいですか?」とか言い出したので退散することにする。機長から何かサインが出たのかもしれない。「よくないです」とか言ってみたくもあったのだが、まぁこんなところで無理しても仕方ない。「いや~、いいみやげ話ができましたよ。」とお礼を申し上げて席へと戻る。


 (日本時間17日09:30)頃になると、数秒に一個ほどの割合で流星が見えてくる。Hさんに今どこですかと聞いてみると、ウラル山脈を越えてオビ川のあたりだという。結局、東の空が明るくなりはじめてもまだ明るいものは見えていて、もう数えきれないほどの流星を見た事になる。

 (日本時間17日10:00)を過ぎると、もう夜明けが始まって(雲の上の夜明けというのはとても神秘的だ。あの色を何と言えばいいのだろう)流星らしきものも見えなくなった。ショーの終わりである。

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2005年7月 3日 (日)

ミリオンダラー・ベイビー

ミリオンダラー・ベイビーを映画館で見てきたが、これは家族と宗教を扱って、ブッシュに対してコメントを求めている映画だと思った。

で、見られた方はそのなかでガッツ石松ネタが使われていることにお気づきであろうか。

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2005年7月 2日 (土)

宇宙消失

Uchu20050702 あるひとから本をいただいたのだが、これがなんとハードSFである。

昔からSFは好きだったが、ハードSFはなんとなく避けてきた。なんとなく、ではなくてつまり、理論の強引な押しつけが鼻に付くっていうのか、納得できないっていうのか、理窟に付いていけないというのか。

もともと、フツーのSFも避けるようになったのは「XXXX星人にとって、水は猛毒だったのだった」みたいなオチに辟易していたからで、そういうロジックがもっと理屈っぽくなったのがハードSFだという理解があるからだ。それは印象として今も変っていない。

さて、「宇宙消失」だが、読みはじめてすぐに不確定性原理のネタだな、と思った。読み進んでみると、私の思ったのとは違う形ではあったがやはり不確定性原理の話だった。

それよりも先に目に付いたのが「モッド」というしかけだ。このしかけは著者であるグレッグ・イーガンが著作の中で多用しているものらしいので、ここで説明してもネタバレにはならないだろう。

モッドというのはクスリのようなものだが、体の中で化学作用を起こすのではなくて、神経そのもの似物理的に働きかけるナノマシンなのだ。そのナノマシンを脳のしかるべきところへ運ぶにはそのために開発されたアメーバを使って、というから徹底している。

まぁ、そんなこんなでてんやわんやになるのだが、どうも最近のSFってのは夢がなくていけない。

思うに、SFは1980年代の終わりにはすでに行き詰まっていたんじゃないかと思う。生半可なSFはすでに科学技術によって追いつかれていて、科学技術によって追いつかれまいとするSFはハードSFにならざるを得なかったのではないか、と思っているわけだ。

1960年代のSFは幸せな時代だった。当時の科学技術はSFを実現するために存在したと言っても・・・言いすぎだが、手塚治虫が描いた高層ビルの間を縫うように走る高速道路というのは本当に実現してしまったものなぁ。こういったSFに出てこなかったのはケータイ電話だけだと思う。実生活のちょっと先を提示するものとしてのSFは夢のあるものだったし、リアリティも十分に感じられた。タイムマシンものにしてもなにかしらリアリティがあったものだったが(タイムマシンものと言えば広瀬正の「マイナス・ゼロ」が世界一である)今はそれにとって替わるのが惑星間飛行とか量子科学の話なんだろう。

ハードSFというのは難しい。書くのも読むのも、だ。書く方にしてみれば読者がどこまで付いてきてくれるか不安だろうし、読者も作者がどこまで行ってしまうのか、あるいはその前に作者がどういう読者を想定して物語を書いているかということが気になってしかたがないだろう。

「宇宙消失」についても、私の考えた不確定性理論の応用というのは特定オブジェクトの確率的な存在を制御することによってつまり「どこでもドア」を実現するというものだった。この予想は裏切られるのだが、確率を制御する(モッドで)というあたりがおもしろいと言えばおもしろいが、これは一般ウケしないんじゃないかなぁ?

というわけで、「ハードSFというのはやはり特殊な分野で、なかなか一般人は入っていけませんでした。」というふうな感想になってしまいました。

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