香りのない映画に悩む
舞台はフランスだが、原作はドイツ人である。映画は英語だが、製作はドイツである。俳優は英国人が多いが、しかし、ダスティン・ホフマンが出演している。いよっ、国際的!
ドイツ人というのは面白い、かなり昔、ドイツ人と一緒に仕事をしたことがあった。具体的に言うとファクシミリ装置を日本で作ってドイツに収めるという仕事だった。
私たち日本のチームは使いやすいようにと心がけて操作性などを設計するのだが、それがドイツチームによって拒否されてしまう。我々は「こういう操作をすることが多いんだから、この操作はすぐにできるように簡単な操作でできるようにする」という風に考えるのだが、ドイツ人はそういうふうには考えないのだなぁ。
ドイツ人が言うには「俺たちの考え方のほうが理屈に合っている。ドイツ人はたとえ使いにくくても理屈にあっていれば納得するのだ」だと。
へー、なるほどなぁ、と、これが私の国際的カルチャーショックの第一発目であった。これはまだ独身だったころだな。
数年前にも、来日したドイツ人と昼飯を食いに行った帰り、「あのノイズは何だ?」と聞くので「あれはセミだ、CICADAだよ」「おお、あれがCICADAか、名前は知っていたが音を聞くのは初めてだ」「セミはね、何年か地中で暮らしていて地上に出てから1週間くらいで死んでしまうんだよ」「ほぅ、ではやつらは仏教徒なのか?」(わけのわからん冗談ぬかすな~!!)。まぁその前に仏教の「諸行無常」なんて話をしていたからというのもあるのだが、まぁとにかくドイツ人というのは西洋人の中でもちょっと変わっている。
映画のテーマといえば愛だの恋だの金だの友情だの戦いだの勝利だの敗北だの、まぁありとあらゆることが取り上げられるわけだが、この映画は「香り」がテーマだ。よりによって画面で再生できないほとんど唯一のものをテーマとして映画を作ってしまうあたりが、まぁなんともすばらしい。
その香りを映画でどう表現するか、最後のほうでは無理やりに香りを映像化しているのだが、まぁそれはご愛嬌として、ぜんたいとしては香りの映像化にほぼ成功しているのではないかと思う。
日本語には「匂うような美しさ」という言葉があるが、実際に匂いを錯覚するわけはもちろんないのだが、あまり美男ともいえない男を主役に配することによって、画像への集中力を下げている?のかな?
あるいは最初のほうにグロテスクな画像を配することによって、見ている人の感覚にショックを与えている? ちなみにグロテスクなものが苦手な人は、最初の「パリは悪臭の街」というあたりから赤ん坊の泣き声がする当たりまで見ないほうがよろしかろう。
でも、私は面白かったな。これも映画の前に小説を読んでいたということもあるかもしれないけど。
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