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2008年3月29日 (土)

代理自殺に悩む

岡山の18歳少年は、親から「大学に行かせてやれない」と言われて駅のプラットホームから赤の他人を突き落とした。

土浦市の24歳は、「誰でもいいから殺したかった」ということで出身小学校へ向かったが、親や教師がいたために断念し、通りすがりの72歳男性を刺殺し、4日後に荒川沖駅前で走りながら居合わせた8人に切りかかって死傷させた。

この二人の犯人は、本当は自殺したかったのだろうと思う。しかしなぜか自殺できないので他殺に走ったのだ。自分を殺す代わりに他殺したのだ。

大体自殺と言うのは自分を罰するフリをして他人を罰する行為だ。「俺をここまで追い詰めたのだぞ」というメッセージが誰かに向けられているのだ。

だから、メッセージが届くのであれば、代理自殺でも用は足りる。「誰でもいいから殺したくなるような状態に俺を追い込んだのは誰だ!?」というわけだ。しかも本人は生き残っているので、必要ならば説明までできる。

なんでこんなことができるようになったのだろう? 自殺と同じようなことが他殺でもできるようになるということは、「無差別他殺に対して社会が『そんな理由があるのなら無差別他殺も仕方がない』という理解を示している」という誤解が広がっているのだろうか?

まず、裁判で無差別他殺に対するエクスキューズとして弁護側からいろいろな理由付けがなされるわけで、これは弁護士という職業からすれば当然のことではあるのだが、アメリカの弁護士がよくやる「幼少時の暴力」とか「愛情に恵まれずに育った」はたまた、ドラエモンがどうしたとか、トンデモ弁護に原因があるのではないだろうか。

弁護される権利を否定するわけには行かないのだけれども、これはなんとかならないモノかなぁ?

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