なんとなくBS hi-Visionを見ていたらオーケストラがクラシックを演奏していた。私はクラシック音楽をぜんぜん理解できないのだが、その話はまた別の機会にするとして、このオーケストラの指揮者が面白いことをしていた。この指揮者はあきらかな休符の間にタクトを振っていた。彼は休符を指揮していたのだ。
これを見て私の頭には「休符を演奏する」という言葉が浮かんだ。それははるか昔にボサノバ・ギターの教則本で読んで衝撃を受けた言葉だった。
たしか、「ボサノバ・ギター教本」というふうな名前の教則本で、著者は林雅彦だったと思うのだが、どうもそのあたりがはっきりしない。いろいろ検索して調べるのだが、一番近いものがこれだった。でもこんな表紙じゃなかった。
「コンボバンドスコアつき」っていうのも記憶がない。ちなみにこの表紙はヨーロッパツアー中のWes MontgomeryとJohnney Griffinのようだ。
収録曲が「Gentle Rain」、「Jazz Samba」、「AGUA DE BEBER」、「Song Of Jet」、「男と女」になっているので、おそらくこの本ではない。
あ、著者名が「林雅諺」になっているなぁ。これはもう一度探し直さないとだめかな?
林雅諺氏は昭和7年生まれの作編曲家らしい。ドン・セベスキーの編曲手法の本を翻訳したりしている。でもボサノバの本を何冊も書くような人じゃないみたいだなぁ。著者名は私の勘違いかなぁ?
私の記憶にあるこの本の表紙は、このジョビンのアルバムのジャケットからパクったようなものだった。表紙の色はもっと濃い茶色だったと思う。私はこのアルバムをCDでもっているのだが、何故かジャケットの下地はこんな色じゃなくて緑というかうぐいす色というか。国内盤だから?
高校の2年の秋には図々しくもギターを持ってステージに立っていたから、これを買ったのは高校の1年か2年だったはずだ。その後この本をどうしたんだろうか? 捨てた覚えは全くないので、誰か後輩に貸してそのままになってしまったのだろうなぁ。
この本には練習曲としてサマーサンバ(So Nice)、Call Me、Forgetting Youなどが掲載されていて、サマーサンバは今でもその指使いを覚えている。あとの二曲は今ではほとんど演奏する機会がなくなったが、Call Me(これはCole Porterの曲)なら今でも弾けるかもしれない。
Forgetting Youって、弾き語りの曲だったかなぁ? 歌詞がついていて、「Now you're gone and I'm all by myself in a same haunted melody」というのを今でも覚えているくらいだから、当時は歌っていたのかもしれないのだが、この曲って他の音源を聞いたことが全くないので、ひょっとしたら著者のオリジナルなのかもしれない。
「Call Me」についてコメントを頂いたので、Wes Montgomeryの演奏でちょっと引用してみよう(故意に音質を落としています)。
「CallMe64.mp3」をダウンロード
ジミー・スミス(org)と、たぶんグラディ・テイト(dr)との演奏だが、最初のテーマだけでもこのワクワク感はすばらしい。Wes聞くのは久しぶりだったりするんだけど、やっぱりWesはいいなぁ。
この本の特筆すべきことは、単なるテクニック的なことだけではなく、ボサノバの精神について記述されていたことだ。今のようにインターネットから世界の情報を入手することなど考えもしなかった頃なので、その「精神」を確かめることもできず、鵜呑みにしてしまったのが、今の私の基本となっている。
その「精神」の一つとして掲げられていたのが「休符を演奏する」ということだった。曰く、「休符とは休むことではなく、次の音を出すタイミングを見計らって身構えることである」とかなんとか。
何しろ高校生の頃だったので、音楽的背景もそれほどなかったわけだが、少なくとも学校で習った音楽では「休符は休み」と教えられていたわけだから、この「休符を演奏する」という言葉に愕然としたのを今でも覚えているわけだ。
この本では他にも同様の心構えだったのか、それともボサノバの定義だったのか、いくつかの点が指摘されていて、覚えている他のものを挙げてみると、
・ギターのコード・フォームはできるだけ音の移動が少ないように工夫すべし。
・コードにおいて、主音は他の音と同様に扱われ、特別扱いされない。
・ロマン主義的な大げさな表現は尊重されるが、推薦されない(これは別の本だったかも)。
う~ん、これくらいかなぁ? もっとあった気がしていて、それを確かめるためにも、もう一度この本を読みたいのだが。有名な「ボサノバの歴史」にも、そういう話が出てくるかと思って期待して読んだのだが、そんなものはなかった。ボサノバの生い立ちは良い意味でユルいものであったらしい。
今になって思うと、以上のような「精神」は著者の個人的な心情だったのではないかと思われる。ブラジルの精神的風土としてそんな堅苦しいことは気にしないだろうし、実際にブラジル製の譜面を拝見しても、おおらかなもので、例えばDm7(9)はコード進行の前後の流れにかかわらず3~5フレットあたりで押さえればいいことになっているし、高校生の頃初めてTVでみたボサノバ演奏者は例えばDm7-G7を

こんなふうに押さえていて、「あれあれ、そんなフォークソングみたいな押さえ方をして!?」と思ったものだった。当時の私は、おそらくこう押さえていたのだろう。

いまなら、場合によるけれども多分こう押さえる。

最近のボサノバ・ギターでは低音部にルート(主音)を持ってくるのが常識らしくて、私は未だにそれにはちょっと抵抗を感じている。ひとつには先述の教則本の呪縛があるのと、「ルートはベースが弾けばいいじゃん。」という思いが頭の片隅にあるからだ。
だから、例えばイパネマをキーDでやるときに、最初の部分をこんなふうに弾いて、E7のところで「なんスか?それ?」とか言われたりするのだった。

でも、最近のギター教則本はひとりで弾き語りすることを念頭において書かれているのだろうから、低音部にルートを持ってくるのは、そりゃま当然ですよね。
2010年11月22日追記:
問題の「ギター・ボサノバ教本」をお持ちのCarlos三田さんからコメントを頂き、内容についていろいろと教えていただきました。以下はそれらを私なりにまとめたものです。
ボサノバの理念についてのこの文章は林雅彦氏によるものだが、もともとはブラジルはサンパウロの日刊紙「Correio Paulistano」に掲載されたブラジル・ローシャ・ブリート氏の論文が元になっている。また、このブラジル・ローシャー・ブリート氏の論文は「」シャンソンとラテンリズム」誌の1963年1月号並びに2月号で長谷川靖氏訳、中村とうよう氏校註としてて出版されている。
林氏はまた、「この論文は1960年当時ものものなので、現在(出版当時:それがいつだったかはちょっとわからない)ボサノバの観念とは違うかもしれない。」と断りをいれている。
原論文ではこの概念(Concepcao:Conseprtion)は
I 美学的立場 「Correio Paulistano」1960年10月23日号掲載
II 構造上の特質「Correio Paulistano」1960年11月06日号掲載
III 演奏上の特質「Correio Paulistano」1960年11月20日号掲載
という構成になっているが、林氏はこの中から「I 美学的立場」を中心にボサノバの理念を以下の5カ条にまとめている。
1. ひとつものものを他に対して優位に扱わない。
たとえソロ・プレイヤーでも音楽的には平等に扱われなくてはならない。
2. 物事を二つの対立する概念として考えない。
不協和音を協和音を解決するための従属的な立場に置かない。また、ロマン主義の名残である劇的な表現を音楽上で避ける。
3. ブラジル音楽独自のポピュラー音楽の尊重。
ただしその特殊性を完成させようという意図のもとに。他の音楽の手法を取り入れることはむしろ作品の個性の確立のために必要である。
4. 音楽上の価値ある仕事をした人に対する敬意。
ボサノバの運動は改革を目指すが、伝統を破壊するものでも非友好的なものでもない。
5. 休符、無音の評価。
音を出さずに休む、というのではなく、ゼロの音を演奏するという考え方。
ちょっと省略しすぎという感じがしなくもないけれども、まぁこんなトコロです。当時のブラジルは軍政だったりして、言論の自由がかなり危機にひんしていたはずなので、これらの論文を額面通りに受け取っていいのか、または何かの隠喩になっているのか、そこんところがちょっとわからないのがもどかしいところです。
2019年12月14日追記:
ちょっとこの話を思い出して検索してみたら、初版の画像が見つかりました。メルカリで売りに出ていました。1100円でしたが、すでに売れた後でした。残念。
最近のコメント