不協和音で悩む
不協和音というのは、古典的和声学に照らした場合に「不協和」とされている和音、という意味だ。だから、現代人はいわゆる「不協」和音であっても必ずしも不協和だとは捉えない、はずだ。
「イパネマの娘」を弾きたくてギターを始めたので、比較的早い時期から多くの不協和音に接してきたわけだが、最初は馴染めないものもあった。Maj7(例:ドミソシ)にはすぐに馴染んだが、minor7(例:ミソシレ)にはなかなか馴染めなかった。特にローポジションのEm7の響きがどうも嫌で、これはつまり感性が未熟で「不協」和音を受容できなかったということではなかっただろうか。
「CM7.mp3」をダウンロードCM7(ドミソシ)
「Em7.mp3」をダウンロードEm7(ミシレソシミ)
和音の受容という点では、複数の音を音列と捉えるか「コード」として捉えるかということも問われるような気がする。つまり、「ドミソ」とその転回形である「ミソド(ドがオクターブ高くなる)」を別のものとして捉えるか(音列としての受容)、同じものと捉えるか(コードとしての受容)ということなんだけれども。
その後、Voicing(転回形)に惑わされることなくコードを把握できるようになったのか「Em7嫌い」病は克服できたが、これがはたして音楽を学ぶ立場として良いことだったのかどうかは、今になってもよく分からない。個々の音列をその具体的な音の塊としてではなくコードという抽象的な形で把握できるのは、コード方面への前進ではあるけれども、物理的な「音」の把握としては後退だと考えることも出来るからだ。
キャパシティのある人なら、その両方を身につけることができるのだろうが、この時点で私は」コード・システムという生産効率の高い、ポピュラー音楽向きの手法を選んで、そっち方向に足を踏み入れてしまったのだった。
クラシック音楽を聞いていても、複数の音列が動いていくのを、ついついコードの動きを前提として聞いてしまう。コードを支える部分と、そのコードに乗っている「上物(うわもの)」というふうに聞いてしまうのだ。これはクラシック音楽的にはきっと正しくないのだろうと思う。おそらく「対位法的に捉える」ということが必要なんじゃないかと思うが、私にはよく分からない。
知り合いに東京芸大の作曲科だか指揮科だかを卒業したひとがいて、その人の話によると単音のメロディ譜面を見て頭の中にそのメロディを浮かべるのは当然として、そのメロディを二声、三声、四声までイメージできるように訓練するのだという。なるほどなぁ、ピアノ弾くひとはそういうことを平気でごく普通にやっているようにも見える。
ええと、そういう話じゃなくて、だ。
本当にm7を「美しい」と感じたのはm7→dim7(7b9)という進行を体験してからだったと思う。フランシス・レイの「男と女」という曲のサビの前半部分でこんな進行があるのだ。
「manwoman.mp3」をダウンロード「男と女」サビの前半
この部分はオリジナルの譜面ではこうなっている。フランシス・レイの曲はだいたいこんなコード進行が多くて、ジョビンのような繊細なしかけを持ってはいない。
|Dm7|G7|CM7|%|
|Dm7|G7|C6|%|
ところがこれを私はこう弾いている
|Cm7|F7b9|Dm7|C7b9|
|Cm7|F7|Gm7|%|
まずだいたいキーが違う。全音下で弾いているのだがそれはまぁいいとして、CM7の部分を代理コードというのか強引に置き換えてしまっている。これは高校生の頃になんども弾いているうちにこんなふうになったのだが、実際高校生としてはずいぶんと生意気なことをしていたものだと思う。Dm7→C7b9というのも未だに悩んでいるのだが、この曲がそもそもの原因だったか?
何が言いたいのかというと、理屈で理解していても自分でそれを美しいと思わないと身には付かないんじゃないか、ということ。
だから、本を読んだり人から教えてもらったりしても、それを自分でいいものであると体感しないといつまでたっての借り物のままだ、と。
だから、私も理屈でしか捉えきれていないものがたくさんあって、それは私の感性がまだ未熟でそういった理屈を受け止めることができないでいる、ということなのだと考えている。
例えばジャズの世界では「アウト」という概念があって、これは「あれ、外してるんじゃないの?」と聞こえるんだけれども、後でちゃんとつじつまが合うようになっていくという技なのだが、これも「ようし、アウトしてやろう」ということでやるのはまだまだ借り物であって、本当のOUTは演奏者としては「IN」のつもりでやっていて、それが他の(感性の未熟な)ひとからは「アウト」に聞こえる、ということなんじゃないか、と思う。
つまり、独自の感性を持っていないと本当の「アウト」はできないんじゃないか?と。
そういう意味で今の私はJim Hallの感性に近づけたらいいな、と思っている。
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コメント
仰せの通りで”我が意を得たり”です。
僕も音楽をやってきて理論書とかいろいろ
視覚から知識として頭に詰め込んで
みたもののやはり身体(耳)から覚えないものは
どうしても定着しないということがようやく解って
きました。Jazzも50をすぎてから始めたのですが
耳以外でで覚えたものは見事なほど
ほとんど忘れているようです。同じことが
やはり語学にもいえるようで身体で覚えこんだ
表現とか単語はいつまでたっても忘れないものだと
思います。
師匠である佐津間先生もJazzとは究極は各々のEar Trainingと言われましたがその通りなんだろうなーと
思います!!!!
投稿: 楽 | 2010年2月 1日 (月) 22時44分
例えば、13thというのは最近になってやっとその響きを好きになりました。#11thとかb13thというのはそれぞれb5th、#5thとの違いがちょっと見えたかな?というぐらいです。
dim7もまだ身に付いていないし、まだ先は長いですね。
投稿: Picks Clicks | 2010年2月 2日 (火) 00時15分