ゼロ戦のドイツ派遣に悩む
第二次大戦でフランスを征服して英国をも支配下におこうとしたヒトラーを英国が航空機の戦いで凌ぎきったのが「バトル・オブ・ブリテン」なのだが、そのヒトラーと空軍相ゲーリングが当時開発を終えていた日本のゼロ戦の航続距離に目を付け、ゼロ戦を評価してその結果が良ければライセンス生産すればいい、ということを言ってたかも知れないよね? という仮定のもとに作られたフィンクションが「ベルリン飛行指令」。
「飛行指令」というくらいなので、つまりゼロ戦を空路で運びなさいという命令が出たわけで、空路としてはロシア回りルートとインド回りルートが考えられるが、独ソ相互不可侵条約があるとは言え、ドイツはロシアへの進軍を考えているのでロシアを通るわけにはいかない、かと言ってインドから中東方面は英国が制空権を握っており、しかも日独伊三国協定が成立したという抜群に悪いタイミングだ。
普通に考えればゼロ戦を分解して潜水艦で運ぶのが一番早くて安全なはずだが(実際、後で触れるように実例がある)、それではフィクションとして面白くないと考えたのか、ゼロ戦を空輸するということにこだわったのがこの物語だ。
ゼロ戦の航続距離は約2000kmと言われており、日本からベルリンまでの6000kmを飛べと命令されたのはアメリカ人を母に持ったという事になっている安藤啓一大尉なのだが、この昭和15年という時世にそんな混血軍人がいる訳ないと思ったら大間違いで、そういう人(ニチベイ混血軍人)は実際にいたのだ。
そのことを知ったのはいつかった本なのだったか、「未知の剣」という本で、これは日本陸軍のテストパイロットの記録を集めた貴重な資料である。その中で来栖良航技中尉という大正8年生まれの人が紹介されていて、この方のお父さんが来栖三郎特命全権大使という偉い外交官、お母さんがアリスさんという米国人だったという。この来栖中尉は悲しくてとてもここには書けない非業の死を遂げるのだが、どうもこの人が安藤大尉のモデルだったのではないかと私はにらんでいる。私がにらんでもなんてことはないんだけれどもね。
しかし、この本(ベルリン)が直木賞をとったわけじゃないんでしょ? 作者が直木賞をとったんだろうな。小説的にはそんなにレベルの高いものではないと思うし。
あ、そうそう、それで、この「未知の剣」のなかで、ドイツからFW190(フォッケウルフ)ヲ潜水艦で日本まで運んできて評価したという実話があって、なるほどろおもったり、日本でも終戦間際にはイ14号だったか、大型潜水艦がゼロ式水上機を搭載して、水上で発着艦させたりシていたのだから、潜水艦による戦闘機の運搬というのも不可能じゃなかったはずなのだ。
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