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2010年10月31日 (日)

閉塞感に悩む

Child44usCHILD44という小説をどうも読み進めないなぁ、と私が悩んでいた頃、ちょうど先輩のJazMys氏は同じ本の英語版を読み終わっておられたのであった。ううむ面目ない。

なので私も頑張って読んでいたのだが、やっと本日読み終わることができた。あ~やれやれ。

「このミステリーがすごい!大賞」の2009年海外部門で1位を取ったり、ロシアでは発禁処分になったりと、まぁすごい評判の本書なのだが、ミステリとしてはどうなんだろうなぁ?終盤になって、なんだか話がうまく行き過ぎている感が出てきたのと、中盤から主人公に対してなんとなく密着感を持てなくなってきたのとで、ミステリとしての緊迫感にちょっと物足りなさを感じた・・・、というのは半月もかかって読んだ人が偉そうに言うことでもないんだけど。

ミステリとかサスペンスとかいう前に、1950年代のソビエトの状況というのが悲惨なもので、多分、現在でも北朝鮮とか中国とかで同じような恐怖政治的なことが起こっているんではなかろうか、とか、そんな状況が国外に漏れでてきたのが現在の中国での反日デモを扇動する動きだったり、北朝鮮の天安撃沈だったり、2、3日前にあった北朝鮮からの国境を超えた銃撃だったりするのではないのだろうかと。

で、日本国内でもなんだか陰鬱な閉塞感があって、これは元をたどっていくと情報公開法なんてのが成立してしまって企業が個人情報を扱うのにおっかなびっくりになってしまったり、ホリエモンが逮捕されたりしてコーポレート・ガバナンスとかコンプライアンスとかがやたらと求められるようになって、企業内部で人々が(特に上層部が)自己保身に回るようになって、新しいことをやる勇気なんてものが失せてしまっている、という状況に通じるものがなくもない、という現在の日本にも通じるものを感じてしまったりするので、どうにもやりきれないわけです。

職場で周りを見回しても、本当に何か新しいことをやってやろうという野心を持ったような人は全然見えなくて、何をやろうとしても、あれはダメこれもダメ、あっちに気を使い、こっちの顔色を伺い、根回しをしようとして回し切れずに自分がきりきり舞いという状況。ここはじっと頭を低くして飛び交う流れ弾に当たらないようにするのが精一杯、というなさけない状況で、これは昔のソビエトほどには悲惨ではないにしても、なんだかそっちの方向へ転げ落ちていくんではないかという気が多分にしてしまう。

あのホリエモン事件というのも、確かに怪しいことをやって会社を大きくしたあたりは怪しさ十分なんだけれども、なんだか見せしめ的に逮捕されて、それをまたマスコミが「さまあみろ」とばかりに叩いたりして、というのが、世の中のそういった野心満々だった人達の間に悪い雰囲気を作ってしまったのではないか。

野心を持った人がいなくなったとは言わないが、野心を持つべき人、持っちゃいけない人とかの分布がホリエモン事件のおかげで変わってしまったような気がする。つまり、あれでビビッちゃった人たちにはもっと頑張ってもらいたかった、とか。

年功序列という日本の美しき伝統が崩れたので、過去にはただ威張っていればよかった中高年が「実力」を試されるようになり、そんなものは実は持っていなかったので自己保身に回るようになり、居残りを求めて切りやすいやつから切り捨てていく。で、私みたいなのが切られていったわけです。


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コメント

本の方は訳が悪かったのかもしれませんね。
で、後半の話は身につまされるというか、私なんか早く隠居してしまいたいというところです。
ホリエモンは今は北海道でロケットエンジンを開発しているそうで、相変わらず野心家で頑張ってるそうで、見直しました。

投稿: taki | 2010年11月 1日 (月) 12時39分

訳は悪くないと思います。むしろうまい訳だったんじゃないかな。

それよりもこの小説はいろんなところからネタを集めていていて、例えばソルジェニーツィンの「収容所群島」とかからもエピソードを持ってきているようですし、そもそも小説の骨格をなす連続殺人事件も実話に基づいているということですから、作者のオリジナリティというのは終盤の作者にとって都合の良いようにまとめられた部分にあるのではないかと。

だから、ひょっとしたらこの作者ってそんなにうまい作家じゃないのかも知れないと思っています。むしろプロデューサというか編集者というか、そういう人なんじゃないのかな?

続編とかいう「グラーグ57」というのも期待というよりはそんな視点で読んでみたいな、とか思っています。

後半の部分っていうのは、つまり日本の閉塞感ということだと思いますが、事業仕分けだとか、いろんな会社のエライさん達の謝罪記者会見だとか、最近では小中学校教諭の不祥事で校長が謝るとか、なんだかマスコミに叩かれまいとする動きが目に付きます。

マスコミが力をつけすぎてるんではないだろうか? どこかの中学校の先生男女が校内で情を交わしたとか、イーじゃないかそんなこと、と思いますがマスコミはここぞとばかりにたたきまくる。なんだかなぁと思いますね。

企業の中でも、いまや成功することよりも失敗しないことが優先されていて、その失敗もとにかくネタには事欠かないので、これはBLOGのこのエントリの主題である1950年代のソビエトにおける「それは反ソビエト的行動ではないのか!?」とかいう恫喝に近いものを感じてしまいます。

こんなことをやってちゃ、日本もそのうち昔のソビエトみたいになっちゃうよ。

投稿: Picks Clicks | 2010年11月 1日 (月) 20時25分

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