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2013年3月 2日 (土)

短編小説で悩む

小説はどこまで短くできるのだろうか?

あらゆる無駄な虚飾を剥ぎとって本当に骨子にまで縮退させたら、ほんの一行でも人を感動させることができるのかもしれない。

日本人ならまず俳句とか短歌を思いつくだろうが、俳句も短歌もある瞬間を切り取るものなので、ストーリーというか、必ずしも起承転結を求めるわけではないけれども、なんというのか「カタルシスまで持って行く」というその過程を楽しみたいというのがあるので、俳句とか短歌は違うんじゃないかな?と思ったり。

「てふてふが一羽韃靼海峡を飛んでいった」というのはスゴイとは思うが、それをスゴイと思うのは読者がそこまでのストーリーを補填するからなのであって、この作品が提示しているのはてふてふが飛び立つ一瞬のことなので。とかいいながらもなんとなく「俳句や短歌は違う」と言い切れないものはあるのだが。

この辺りを議論してみると面白いかもしれないが、まぁ(私が)深く考えても仕方ないかな。
短い小説としてすぐに思いつくのはフレドリック・ブラウンの「時間逆行機(たぶんそんな名前だったと思うのだが)」というもので、その内容をうろおぼえながら簡単に引用すると以下のようになる。


「皆さん、これが時間逆行機です。」と言って博士はボタンを押したし押をンタボは士博てっ言と「。すで機行逆間時がれこ、んさ皆」



この例はおよそ別格である。これを超える「短編」小説はないんじゃないかと思うが、本屋でこんな本を見つけたので買ってみた。

Sudden6 「Sudden Fictionはショートストーリーとは違って…」といきなり編者の長い長い口上から始まるのだが、要するにええとなんだっけな?長すぎてちっとも入って来なかったんだな。確かに読んだんだけど。

で、肝心のサドン・フィクションだが、なんだちっとも短くないじゃないか。17ページも書いておいてSUDDENもないもんだと思うが、それがその作者にとってのSUDDENなのだろうな。まぁ仕方がないか。

SUDDENだからといって、特になにかテクニックを使っているようなものはなかった…かな?あったかもしれないな。ああ、なんだか狙ってるな、というのはあった。

でも記憶に残ったのは「バトン・トゥワラー」というものだった。怪我をしてバトンをまわせなくなった女性がその最盛期を振り返るのだが(うろ覚え)、「バトンをくるくると空へ放り上げる時、私自身も一緒に空を舞うように思った。」というのが印象に強く残っている。そういう体験はないが、それはとても羨ましい。

まだ上巻を70%くらいまでしか読んでいないのだが、読み進んでいってもちっともワクワクしないので、もうやめようかと思ったりもしている。

ただ、読んでいて途中で気がついたのだが、訳者が2名いてその片方が村上春樹だ。それが目的で買ったわけではなかったはずだが、へぇそうなのか、と思って村上の分だけ読もうかなとか思ったり思わなかったり。

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