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2013年9月22日 (日)

Nokiaの迷走に悩む

マイクロソフト(以下MS)がノキアの携帯電話事業を7000億円余で買収した。MSがノキアに秋波を送ったのはこれが最初ではない。1990年代にもマイクロソフトはノキアに技術協定を持ちかけるが、ノキアには当時世界征服の夢があったのでMSに取り分を奪われるのがいやでこれを断ってしまう。

ノキアはフィンランドの会社で元々は農機などを作っていた会社らしい。ノキアという会社名は日本語の「農機屋」からつけたらしい…というのは私が今思いついたので違うかもしれない。でもフィンランド語には日本語と共通する語彙がたくさんあるらしいから、ひょっとするとそうだったかも。ノキアはそのうちに携帯電話の基地局を手がけるようになり、携帯電話機の開発と販売にも手を伸ばし、ついには低価格の携帯電話においてほぼ世界市場を手に入れるというほどの会社に成長する。

ノキアの(携帯電話の)世界征服計画は世界共通のプラットフォームを作ることがその主要な戦略だった。ノキアは英国のPSION(サイオン)という会社が作ったEPOCというOSに目をつけ、これを携帯電話用のOSに改変することを狙って当時携帯電話機を作っていたモトローラ、エリクソンといったメーカーたちに声をかけてサイオン社とともに1997年にSymbianというOSの開発会社を作る。日本の松下やSONYも後にこの会社に参画する。

当初はEPOC-OSと呼ばれていたそのOSは、商標の問題があってSymbian-OSという名前で呼ばれるマルチメディアに視野を向けたOSになる。これがそもそもスマートフォン用OSの起源である。

Psion5mx これがEPOC32を搭載したPDA「PSION 5mx」日本でも根強いファンが日本語化したりしていた。ケースを開くとキーボードがせり出してくるというメカも意外に頑丈で面白い機械だった。単3電池二本で1ヶ月くらい動いたかな。でも通信機機能がなかったと思う。シリアルポートはあったんだったかな? 外部にモデムをつなげば通信できたかも、という感じだったと思う。Wifiはまだそれほど普及していなかったし、3GやLTEなんてとんでもないという時代。

ノキアに袖にされたMSは、当時から持っていたWindowsCEというOSを基にWindowsMobileというOSを作り上げ、それを基本とした携帯電話を作るように各メーカーに働きかける。

こんなふうにMSのWindowsMobileとSymbian-OSとが競い合うようになったわけだが、低消費電力、高安定性のSymbian-OSに対して、安定性に劣るWindowsMobileはMSのOffice製品との親和性を前面に立てて戦う。

携帯電話にWORDややEXCELが搭載されているのはそれなりに便利ではあるが、さすがにあのちっこいキーボードで入力するのは辛い。それよりもMS-OUTLOOKが便利だった。。メールで送られてくる会議開催通知に「参加」と返信すると、自動的にスケジュールに記入されるので、打ち合わせに関するスケジュール管理がとても楽になる、というかOUTLOOKに操られているような仕事ぶりになってしまうのだが。

今なら「スマホやタブレットは情報を消費するもの、情報を入力したり加工するのはPCで」ということが言えるが、当時はそういう概念はまだなかった。当時はOUTLOOKに振り回される日々で、そういう意味でも「ケータイがないと仕事にならない」という状況だった。

Symbian-OSはその安定性と低消費電力という点で優れており、またモバイルな環境に適した「プログラムをROM上で走らせる」という技術まで持っていたOSだったが、いかんせんプログラミングが大変難しかった。ユーザーが自由にプログラムを作って流通させる仕掛けは持っていたものの、その難しさからなかなかそういった意味でのファン層が広がらなかった。

Symbian-OSにしてもWindowsMobileにしても、ともにモバイルでマルチメディアを扱うことを目指して開発していたのだったが、今ひとつ突き抜けることができなかったのはCPU性能と電池の持ちにうまく折り合いをつけることができなかったからだと思う。CPU性能も今ひとつだったし、無線でのデータ通信技術も当時はまだ未熟だった。

ただ、この頃にユーザから見た操作性という点において、ある程度の下地はできたのだと思う。Andoroidのホーム/メニュー/戻るという3ボタンの基礎はWindowsMobileのEnter/Menu/OKボタンを下敷きにしている。

そんなふうにMS対ノキアの戦いはWindowsMobileとSymbian-OSという形の代理戦争になったいたわけだが、ここでMSが飛び道具を使う。Symbian-OSのコンセプト的中心人物であったユハ・クリステンセン(Juha Christensen)を引っこ抜いてMSの副社長に据えてしまうのである。クリステンセンはもともとノキアの人間で、おそらくはノキアでも携帯端末の開発に大きな業績をあげていた人なのではないかと思う。

MSはほかにもいろいろとSymbianに圧力をかけ、結局Symbianは売上としてはシェアを取っていたものの、将来性ということに関してはほぼ死に体となってしまう。Symbianは日本でも後発ではあったが富士通と手を組んで日本の特殊事情に適合した一見ガラケーな携帯電話に活路を見いだし、ある程度のシェアを取る。

もともとSymbian-osはPDAを対象にした小規模なOSだったので、スマートフォンの大容量化についていくのがなかなかしんどかったのだろう。Symbianは2010年頃だったか「ビジネスをやめてサポートに回る」という宣言をおこなって事実上ビジネスから手を引いてしまう。

そんなところにさっそうと登場したのがAppleのiPhoneである。

iPhoneの優れていたところは、なんといってもマルチタッチという斬新な操作法がまず第一だが、アップルストアやiTunesなどの脇を支えるように見えて実はこちらが本体みたいな、全体としてのビジネスモデルが秀逸だった。

Symbian-OSもWindowsMobilemoともに歴史的経緯から規模の壁を内在しており、MSもそれに関しては抜本的な策を講じていたりしたのだが、iPhoneは全く新規なOSだったので、そういった古いしがらみをほぼ持っていなかった。後発であるAndroidも同様で、Symbinan-OSやWindowsMobileではなかなか内蔵メモリを32Gとか64Gとか持つことはできなかったんじゃないかと思う。

この規模の壁に関しては、アップルの戦略的展開としてまずはiPodで内蔵フラッシュメモリをGbyte単位で持つことをふつ~にしてしまい、大容量フラッシュメモリの価格と流通性を十分慣らしておいてからiPhoneに適用するという作戦だったのだろう。

というわけで、MSはやや傾きかけたノキアにWindowsMobileに関する提携をまず持ちかけ、それをテコにしてノキアの携帯事業を今回めでたく買収することになったわけだ。

一方、MSに引きぬかれたクリステンセンはどうなったかというと、確か2年もしないうちにMSを飛び出してなんとマクロメディア社に入り、社長にまで上り詰める。マクロメディア社とはMSといろいろナメんで角を突き合わせる仲で、ブラウザ上で動画を表示したりゲームを動かしたりするFlashを作った会社だ。当時、いや今でもMSはSilverLightというFlash対抗製品を出してFlashのマーケットを奪おうとしているがまだ果たせていない。

しかし、そのマクロメディアもAdobeに買収されて、クリステンセンはどういう紆余曲折があったのか、この間まではなんだったか「Sonopia」とかいうMVNOの会社にCEOとしていたと思ったのだが、今はZIGIという会社のCEOをやっているらしい。要するにケータイ関連のソフト開発会社のようだが、なんだか良くはわからない。まぁ、もうノキアにも戻れないだろうしなぁ。



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コメント

ノキアは長靴屋さんで創業だと思ったよ。

投稿: ををつか(をたくな講師) | 2013年9月22日 (日) 17時48分

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