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2016年9月 4日 (日)

楽器博物館で悩む

夏休みは浜松へ小旅行をしたわけだが、やはりお悩みネタとしてはいくつかあって、こうやって小出しにしてみようかな、と。

浜松楽器博物館は浜松駅から徒歩5分ほどのところにあるのだが、訪れた日は浜松の最高気温が37.3度という日で、博物館に駐車場があればレンタカーで乗りつけるということもできたのだが、ないってことだったのでレンタカー屋さんに荷物を置いて徒歩で向かったのだった。

浜松駅から楽器博物館まではアクトシティというビルの中を抜けていくと楽に行けるのだが、レンタカー屋さんからはどうすればよいかわからなくて暑い中をふらふらと歩くことになった。帰りはアクトシティを通って帰った。でもこんな豪華な建物は誰が建てたのか知らないが、いっと赤字なんだろうなと思う。人がいないものなぁ。

本題に入ると、まず、ピアノのことを「pf」と略すのは「ピアノ・フォルテ」の略なのだということは何となく知っていたのだが、今回今博物館でその意味がはっきりと分かった。

つまり、ピアノの基本的な構造は早くに固まっていたのだが、弦を弾(はじ)いて音を出す仕組みについて、音の強弱をうまく表現できる形になるまでなかなか決定打が出なかったということらしい。

それはたとえばチェンバロを見ればわかるのだが、チェンバロは爪で弦をひっかいて発音するので音の大きさをコントロールできなくて、音を出すか出さないかということしか制御できない。鍵盤を押す速度が音の強弱にうまくリニアに反映させるために、ピアノにはハンマーアクションという機構が備えられているのだ。

楽器博物館にはその歴史が説明用モデルを使って展示されている。

Pianoaction

ピアノのアクションは、

・鍵盤が押されていないときには弦が鳴らないように押さえておく(ただし右ペダルが踏まれていたら放す)。
・鍵盤が押されたらその速度に従った速度で弦を叩く。

ということを実現しないといけない。博物館では実際にいくつかのモデルによってその構造・動作・感触を確かめることができる。

ピアノで小さな音を出すということになると思いだすのがこの演奏だ。

ビル・エバンスが盟友であった名ベーシスト、スコット・ラファロを交通事故で失ったのが1961年の夏。その後エバンスはしばらくスタジオ録音をおこなっておらず(ライブ演奏・録音はあった)、よく1962年の春になって初めてスタジオ入りした。打ち合わせもなく弾き始めた「ダニー・ボーイ」はラファロへの追悼とも思える演奏で、たまたま録音をスタートしていたエンジニアが保存していたのがこの演奏だ。


ヘッドフォンで聞いているとピアニッシモという感じには聞こえないが、初めて聞いた時にはスピーカーで聞いていたためかほんとうにppだなぁと思った。

Horsehead 博物館にはたくさんの楽器が並べられていて、それを触っちゃいけないというのはかなりつらいものああるが、ちゃんと「体験室」みたいなところもあっていろいろと楽器が並んでいた。

ギターもあったが、若い女性が熱心に触っていたのでそこには近寄らず、私は馬頭琴(おいコラっ、ナンダコノヤローっ!というのは罵倒禁)や琴、テルミンで遊んだ。スティールパンもあったのだがあまりに小さくてこれはつまらなかった。

パンデイロとか、あるいはそれに類するものがあればいいなぁと思ったがそういうものはなかった。まぁ打楽器系は一通りさわってきたわけだが、そんなに数もなかったし。

Hichiriki

2時間ほど博物館巡りをしたあとに売店へ。売店では音楽がらみの各種文房具とかが満載だったがそれはスルーして、おもちゃっぽい楽器を見る。

いちばん気になったのは「篳篥(ひちりき)」で、変えない値段ではなかったのだが、②000円くらいする吹き口というものがよくわからなくて、別売じゃないんだろうけれども消耗品なのかな?とか、リードの構造がよくわからなくて買わなかった。アマゾンで調べても同じくらいの値段だったし。

結局、例によってピーヒョロ笛を買ってしまったのだが、インドネシア製という黒いのも工作精度がよくなくて、要するに管の内径が一定じゃないのでピストンの密閉性がよくない。やっぱり木製のはだめだな。

Whistle1

ついでだから、撮った写真のスライドショーもおいとこう。


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