エッシャーの父親で悩む
私が常々言及しているのはMC(マウリッツ・コルネリス)エッシャーだが、彼には当然ながら両親がいて、父の名前は英語読みで「ジョージ・アーノルド・エッシャー」という。彼らの母国オランダでは「ゲオルギ・アルノルド・エッセル」と読むらしいが、ここでは失礼ながら「アーノルド」と呼ばせていただく。
アーノルドが日本政府に招かれて日本に5年間滞在したことは以前にも書いた。当時の月給が450円ということで、これは破格の待遇だと思う。日本では淀川(大阪府)の治水工事や坂井港(福井県)の三国港突堤の工事を指導したらしい。この三国港突堤はやはり、というか「エッセル堤」と呼ばれているらしい。
私がアーノルドに興味を持ったのは、アーノルドが日本から持ち帰ったかもしれない浮世絵の影響をMCエッシャーの作品に見ることができるのではないか? ということからだった。
しかし、調べてみるとアーノルドは1843年生まれで、日本へ来たのは1873年で30歳のときだ。日本からオランダへ帰国したのは1878年で35歳の時ということになる。一方MCエッシャーは1898年生まれだから、アーノルドが帰国してから20年後だ。アーノルド55歳の時の子供である。
アーノルドは1882年にシャルロッテ夫人と結婚するが、この結婚は3年後の1885年に終了する。事情はわからないが死別かもしれない。シャルロッテとの間にできた異母兄がのちに地学者になってMCエッシャーに結晶学の本を勧めたりするのだが、えらく年の離れた兄弟だなぁ。
アーノルドがMCエッシャーの母であるサラと結婚するのは1892年である。サラは「大臣の娘だった」とある書籍には書いてあった。30歳で極東に派遣されるなど、アーノルドはある種のエリートだったのだろう。
アーノルドはMCエッシャーを技術者か科学者にしたかったらしいが、一方でピアノのレッスンを受けさせたりしている。これは母親の意見かもしれない。
そんなわけなので、アーノルドがMCエッシャーに浮世絵を見せたりというようなことはなかったようだ。MCエッシャーの版画作品を実際に見ると、線の間隔は最小でも1mmくらいで浮世絵(これも版画なのだが)ほどの精細度はない。むしろMCエッシャーの作品ではエッチングで最高の精細度が発揮される。
エッシャーは結局日本へ来ることはなかったが、日本と全く無関係であったかというとそうでもなく、この絵のような立体造形を日本の根付師に発注している。
「エッシャー自作を語る」からその部分を引用すると、
「私は中でもこの小さな象牙の球体g気に入っています。直径は約7.5cmです。デザインは私のものですが、彫りは私の最も親しいアメリカのお得意さん(コルネリウス・ルーズベルトのこと)からの注文で、日本人の根付師が行いました。」
日本人の根付師に発注するというのが米国人の意図だったように読めるが、ひょっとするとMCエッシャーの意図だったかもしれない。これは原文を見ないとわからないだろう。
まぁとにかくアーノルドは1939年に96歳で他界する。MCエッシャーは41歳だ。アーノルドもMCエッシャーも充実した人生だったんだろうなぁ。
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