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2018年7月22日 (日)

タイヤキくんで悩む

Taiyaki_kun日本で一番売れたという「およげたいやきくん」の歌詞に屁理屈でツッコミを入れてみるテスト。

まず日本人なら誰でも知っている最初の部分:「毎日毎日僕らは鉄板の~上で焼かれていやになっちゃうよ。」だ。

この部分では主語が「僕ら」と集合体になっていることに注目していただきたい。

集合体としてのタイヤキが毎日焼かれているのは確かにそうなのだが、個々のタイヤキについて考えてみると、焼かれるのは一回だけである。今日焼かれたタイヤキが、明日もまた焼かれるということはないのだ。

個々のタイヤキについて改めてよく考えてみると、タイヤキというものは焼かれる前はただの水溶きメリケン粉なわけなのだから、「焼かれてこそタイヤキ」なのであるということをタイヤキ君たちは自覚すべきである。

なのに、「ある朝ぼくは店のおじさんと~、喧嘩して海へ逃げ出したのさ」ということになってしまうわけだ。その喧嘩のやり取りを推測してみる。

タイヤキ:も~え~かげんにせえよ。何でこう、毎日毎日焼かれなあかへんねん。やってられへんわ。
おじさん:なにゆうとんねん。おまえら焼かれてなんぼやないかい。焼いてないタイヤキはただのメリケン粉やねんぞ。
タイヤキ:やかましいわ。焼かれる前でもタイヤキはタイヤキなんじゃ、ボケ。おっさんはタイヤキの精神性というものをわかっとらへんのじゃ。

なぜか関西弁になってしまうのは、やはり「粉モンは大阪」ということなのだろう。

つまりタイヤキの主張としては、焼かれる前の水溶きメリケン粉であっても、すでにタイヤキの精神的というか、霊的なものが存在しているというのだが、やはり人間の目から見るとおじさんに対して説得力が不足していることは否めない。

タイヤキが「海へ逃げ出す」とか「海で泳ぐ」ということについては、まぁファンタジーだからということで目をつぶろう。歌詞を全部書いてしまうと著作権学校どうとかで問題になるかもしれないので、引用にとどめておかないといけないし。

で、海で泳ぎつかれたタイヤキ君はおいしそうな海老に食いついて釣り上げられてしまうのだが、これが「海老で鯛を釣る」の語源だと言われている(冗談)。

釣り上げられたタイヤキ君が釣り人に食べられてしまうのは仕方がないとは思うが、果たしてタイヤキとして食べられたのか、それとも鯛として食べられたのかという疑問が残る。

話は変わるが、以前に仕事でタイへ行ったとき、同僚が休日に釣り船を出した。釣果を聞いてみると「エビが釣れたよ」ということで、「タイでエビを釣った」という話。

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