海の向こうの戦争で悩む
ひところ村上龍の作品をいくつか続けて読んでいたことがあった。透明ブルーとかコインロッカー・ベイビーズとか。その時にこの本もタイトルだけは知っていたのだが、どういうわけだかその時は読まなかった。「海の向こうで戦争が始まる」というのはすごく突き刺さるタイトルで、そのあとも何度も思い出したりしていたのだが、その後味悪さというか「対岸の火事を面白がっている自分」というのが何となく嫌だったのではないかと今では思う。
ロシアがウクライナに非道な侵攻をしている今こそがこの本を読むときではないだろうか。早速オンラインで図書館の手続きをして読んでみた。
はっきり言うよ。面白くなかった。私には難しすぎたのかもしれないが、読者に無断で場面転換が何度もあって面食らうし(「一方、」「そのころ、XXでは」などをあえて徹底的に削除したんじゃないか、と思うくらいだ)、漢字の間違いはいろいろあるし、だいたい文章が下手だ。なんでそんなに面白くないのかといぶかっていたが、あとがきを読んで納得した。以下に引用する。
あとがき この作品を書き上げた夜、あるバーでリチャード・ブローディガンに会った。「二つ目の小説になる本を書いたよ」そういうと、ブローディガンは「ふぅん」と横を向いた。この野郎、おめでとうくらい言ったらどうだ、と思ったが、彼はその時機嫌が悪かったらしい。もう一度僕に向きなおるなり、「大事なのはね、三作目だ」と短く言った。 「処女作なんて体験で書けるだろ? 二作目は一作目で習得した技術と想像力で書ける。体験と想像力を使い果たしたところから作家の戦いは始まるんだから」 脱稿の酔いが、あっと言う間に醒めてしまった。そのバーからの帰り、昔の友達のことを思い出した。「俺が生きている時は注射針が腕に刺さっている時だけだ。残りは全く死んでいる。残りは注射器の中に入れる白い粉を得るために使うんだ」歩きながら、小説は麻薬にそっくりだと思った。 |
つまりこの作品は第二作だったのだな。第一作の「透明ブルー」も実は私にはあんまりおもしろくはなかったんじゃなかったかな?この「海の向こう」を読んでいて何となく既視感があったのは、「透明ブルー」を思い出したのかもしれない。でもこのタイトルはかなり刺さった。刺さったけれどもそのタイトルが小説の中でうまく展開できていないのが残念だ。
読み終わった後で、「腰巻」が表紙裏に添付されているのに気が付いた。これを先に呼んでいたら印象が変わったかもしれないが、しかしとんがっとるなぁ。
読者へのメッセージ 風呂場のタイルに貼り付いている女の髪の毛、それが青い地球の末梢神経だ。戦争はすでに始まっている。我々の頭の中にビジョンとしてではなく、宮殿として空に浮いているのでもない。戦争は海の向こうで、また我々の目の裏側で確実に始まっているのだ。それは近代戦争しか体験のない我々の親たちの想像力を超えている。僕は戦争を見た。意味を考えるのは見た後でいい。僕の見た戦争をあなた方に語りたかった。 著者 |
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