カテゴリー「旅行・地域」の129件の記事

2022年4月23日 (土)

市民の森で悩む

 自宅の近所に「市民の森公園」ができるというのは数年前に町内会の会議で聞いたのだが、なかなか実現しなかった。それが今年(2022年)3月28日に完成したということが町内会報で通知された。正式名称は「名瀬・上矢部市民の森」ということになったらしい。工事は一般競争入札で発注され、費用はおよそ2400万円だったらしい。

Nase_citizn_park_map

 で、早速でもないのだがいろいろと見てきたので記録しておこうと思う。BLOGにまとめるのに手間取っているのだ。

・公園ではなくて「森」なので、広場はあるもののそんなに広くはない。
・「森」の差し渡し(どんぐり広場から西入口まで)は700mほど。
・広場には作り付けの木のテーブルがあるので、少人数での食事はできる。
・散策路はループ状ではなくて交差した経路になっているので、ぐるぐる歩き回るには向いていない。
・街灯の類はないので、夜はおそらく真っ暗になるだろう。夜になってから行く人はいないと思うが、夕方に行く人は早めに帰るのが良い。
・駐車場はない。
・「美人が谷戸」の近くにLawsonがあるので、買い物をすれば1時間くらいは停められるかも。知らんけど(20分以上停めると、厳しく叱られることがあるらしいぞ)。
・西入口から少し歩くとJonathanがあるので、そこにも停められるかも。知らんけど。
・自動販売機とか水飲み場、トイレはない。水を持っていくことをお勧めする。
・公式には「入口」はあるが「出口」がない。一度入ったら出られないかもしれない、というのは冗談。
・道はすべて滑りやすいので、靴の選択には注意すること。
・携帯電話はそこそこつながる。
・各入口へ行くには民家の密集地を通るので、遠足気分で騒いだりしないこと。

 で、歩いているうちに「あれ? ここって2年前に歩いたところだ」と気が付いた。その時の写真もあるので新旧並べてみよう。

 まず、2020年夏。
Nase_shimin_no_mori_before
 で、2022年春。安全を確保するために柵ができた。
Nase_shimin_no_mori_after2

 つまりこんなふうに山道を整備して安心して歩けるようにしましたよ、ということらしい。

 で、せっかく写真を撮ってきたので、それぞれの「入口」から紹介してみよう。

■まずは「チョウガヤト」。
Chogayato1
 これだけではさっぱりわからないと思うんだが、ここへ来るにはオリンピック東戸塚店の前を通る名瀬道路を名瀬下で直進して右手に妙法寺とか青い屋根の「名瀬第二町内会会館」が見えるあたりで左へ入っていくと「ことりの森」というケアハウスみたいなのがあって、その裏手あたりにあるのです。そういう案内が全くないから、こういう駄BLOGでグダグダと書くことになるのだよ。

 追記:
 この看板の左手に「チョウガヤト広場」というのがある。草っパラにテーブルが二つ置いてある。

Chogayatohiroba
追記ここまで。

 しかし、「ヤト」って何だろう?「谷戸」と字を当てている入口もあるのだが、ここの入り口にはたいてい「ヤト」が付く。谷の? 戸? 入口っていうことなのかな?

 で、ややこしいことに名前のない入口というのがある。このチョウガヤトにたどり着く前に小さな墓地があって、そこの脇の石段(正方形のコンクリートタイル)を登っていくと、「どんぐり広場」へ近道する事ができる。
Bochi
 これのどこが墓地なの?っていうとお花が咲いているあたりです。何か灯篭みたいなのがあるでしょ。
 で、正方形のタイルってのがこれ。まぁ、行けばわかるよ。
Seihoukeitairu

 ついでだから、「どんぐり広場」をご紹介。広くはないよね。
Donguri

■北入口
 どんぐり広場から頂上広場へ行く途中に「北入口」への分かれ道があって前から気になっていたので行ってみた。するとすぐに入口にたどり着いて、そこからだらだらと下り坂になる。坂を下りきると、道路へ出るわけだが、説明しにくいのだが名瀬道路の中村バス停のあたりに出る。

 中村バス停なんて本当にローカルな人しかわからないと思うが、なぜか屋上にドナルド・マクドナルドが居る不思議なビルがあって、まぁその辺ですわ。中村バス停は東戸塚駅東口からバス2番乗り場で緑園都市行き、または弥生台行きに乗ります。中村バス停の次は「さかえ橋」で、これがローソンの前になる。料金は220円(前払い)。乗車時間は15分くらいかな。
Donald_nakamura

北口まで戻って(この登り坂がきついんだ)しばらく行くとこんな標識がある。でもこの標識の場所から見える入口だか出口だかには名前が付いていない。こんなに明確に出入口なのにね。
Mumeiiriguti
で、この出口から出てみると、なんと北入口から下る坂に合流した。なんのこっちゃ?

出口を出て振り返るとこんな感じ。
Mumeiiriguti2
で、出口からは中村バス停のドナルド・マクドナルドが見える。
Donald_nakamura2

■「美人が谷戸入口」は名瀬道路のLawsonの近くから入る。とか言ってもきっとわからないと思うのでこれはもう一枚地図を貼らないとだめかな。あとで貼ることにしよう。

 この名前の由来とか書いた立て札でもあるかと思ったが、そんなものはないもんね。そういうサービスはいっさいなし。横浜市の計画書に書いてあったのかなぁ?
Bijin_ga_yato1 Bijin_ga_yato2

順番から行くと、ここで頂上広場の写真を置きたいんだが、撮り忘れたらしい。また行くだろうから続報を待っていただきたい。

追記:

頂上広場の写真を追加。高齢男性お二人が談笑中。この広場を通り抜けると西入口へのルートへ出る。

Chojohiroba

追記ここまで。

■西入口
で、しばらく森の中を歩いていくと「西入口」に出るわけだ。
Nishiiriguchi
でも西入口へ出る少し手前にY字路の分岐があって、これは迷いどころだ。私は左へ行ったが、右へ行くとどうなるのか今の時点ではわからない。山越えの道路に出るんじゃないかと思うんだが今のところ未確認である。

追記:

頂上広場から西入口へ続く分岐の写真がこちら。左手の方へ行くと西入口へ出る。

Bunki

右手のほうへ行こうとするとこんな看板がある。

Juryokinshi

それにもめげずに右手の方へ進んでいくと、ちょっと長い道があって、新たな無名の出口へ出る。なんだか集落のようだったが農家さんの作業場みたいだった。

出口はこんな感じに見える。

Extraexit

追記ここまで。

■バンショウヤト入口
この入口についての解説を最後にしたのには理由がある。この入口は全くお勧めできないからだ。
Banshoyato1 Banshoyato2

まず、道が悪い。湧水が出ているのか、入口へ行く途中の道が水浸しで泥だらけだ。写真は撮ってこなかった。
 そして開けた道に出るまでが大変。私はちょっと土地勘があるのでいつもの川沿いの道に出られたが、知らない人は迷うだろう。民家があるので遭難はしないだろうが、逆に一般道からこの入口にたどり着くのは容易でないだろう。
 ちなみに一般道から行くとしたら、阿久和川ぞいの大きな保育園のあたりから行くのがよい。

で、周辺の目標物を書き込んだ地図がこちら。クリックすると多分拡大されます。

Nase_forrest_map

2022年4月29日追記:

「ヤト」についてはFacebookでお友達のT原さんからこの辺では谷のことを「ヤト」というらしい、金沢区では「ヤツ(谷津)」になったりするらしいとご教示いただいた。どこにそんな情報があるのだろうかと探してみたら、横浜市のHPにこんな記事があった

 『「谷戸」とは、丘陵大地の雨水や湧水等の浸食による開析谷を指し、三方(両側、後背)に丘陵台地部、樹林地を抱え、湿地、湧水、水路、水田等の農耕地、ため池などを構成要素に形成される地形のことです。 』。なるほど。


 それにこんな本(関東地名物語―谷(ヤ)谷戸(ヤト)谷津(ヤツ)谷地(ヤチ)の研究)もあるらしい。

2022年6月5日追記:

 ヤトについて書きそびれていたことがある。上の説明ではわかりにくいと思うのでさらに説明すると、つまり山と平野が入り組んだところで平野が山に食い込んだようなところをいいます。つまりは谷(たに)が終わって平地になるところのことを言うのですが、谷(たに)とはちがう。

 で、東京には「谷(や)」とついて地名が多くあるのですが、これらはみんな「ヤト」なんですね。考えてみれば、「渋谷」も谷(たに)というよりは「ヤト」なのです。

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2021年7月10日 (土)

熱海の盛土で悩む

熱海の土石流の原因となった盛土の様子をGoogleマップで確かめてみた。画像は2021年の衛星写真と表示されている。詳しい日付についてはよくわからない。

いったいどういう技術なのかわからないのだが、衛星写真を表示している状態でControlキーを押しながらマウスを操作すると三次元画像を見ることができる(クリックすると多分拡大されます)。

画面中央の階段状になっている部分が全部崩れて、谷を下って行ったのだろうが、谷を下ること数百mの間に大きな運動エネルギーを得て市街地へ突入したものと思われる。犠牲者の皆さんのご冥福をお祈り申し上げます。

Atami_morido2021 

画像の順番が逆と言えば逆なんだが、地図上での上記の盛土と、市街地の関係はこんなふうになっている。

Atami_dosekiryu2021

翌日追記:

ニュースを見ているだけだと「盛土」と被害地との関係がよくわからなくて、地図で確認してみたらこんなに離れているところで起こった崩落が市街地にまで被害をもたらした、ということがわかった。

さらに、盛土の地点と被害地点との標高差を調べてみようと思ってGoogleEarthを起動してみた。

Atamimud

マップで見た時とは視点が違うが、この視点からだとTVでよく放映されていた「赤いビルの脇を土石流が流れる」の赤いビルがはっきりと見える。

盛土の位置: 35° 7'18.44"N 139° 4'17.06"E 413m
被害地の位置: 35° 6'51.11"N 139° 4'49.41"E 134m

ということで、高低差は280mほど。直線距離は緯度経度で計算すれば出るのかもしれないが1000mくらいだろうか。土石流が流れた経路に沿って距離と標高でグラフを描いてみると、どのへんで速度がついたのかとかわかると思うのだが、そんなことしてみても仕方がないかな。

しかし、こんなに離れたところで起こっていた土地造成の影響で、命に係わる事故が起こりうるというのは重要な警鐘だと思う。全国で盛土のチェックを行うことになるそうだが、しっかりやってほしいものだ。

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2021年6月15日 (火)

新旧道路事情で悩む

この投稿は2020年の10月ごろに書き始めたものだ。七瀬ちゃんが生まれたころかな(謎)。しかし話は道路行政を追っかけているのでもっと前にまでさかのぼる。先の投稿で開通した道路の先の話なので、ご興味があればこちらを見ていただきたい。

横浜市の道路計画図を見てみるとこういうのがあって、泉区の戸塚区のをくっつけたのでちょっと変になっているかもですが、赤線で囲ったところが今回問題にしているところです。緑のマークがついているのは先般アミメニシキヘビが逃走したあたりです。

 

Izmi_tozka

で、これでは訳が分からないかもなので地図と航空写真で示すとこんなふうになっています(2020年10月現在)。下の図で赤線が元の道路、航空写真で点線になっているのが新しい道路です。航空写真のほうでは上のほう(緑園都市のフェリスのあたり)から来た道路がまっすぐ下(南)へ延びるようになっていて、従来からの道路と交差するようになります。これが上のほうの道路計画では黒点線の交差としてあらわされています。

Okadu_crossing_20201025130601

さて、それでこの道路計画は当初2020年の10月末あたりに完成するはずだったのですが、やはりコロナの影響か12月28日完成ということになり、それがまた伸びて結局2021年3月中旬に完成しました。工区写真はまだ更新されていませんが、地図のほうは新しくなっています。

Okazucrossing

この道路が完成したおかげで、長後街道へ抜けるのが楽になりました。その代わり緑園にいくのがちょっと面倒になりました。特に旧岡津の交差点の信号がなくなったので、なんだか不便感があります。

というわけで、この件がなかなか書けなかったのもBLogが滞っていた原因の一つではあったりします。

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2019年3月 3日 (日)

金正恩の亡命に悩む

金正恩は60時間以上かけて帰国途中なのだが、その途中でシーチーピンに米朝会談の報告をするだろいうと言われている。

これはいまのところまだ想像だが、金正恩は列車ごと中国に亡命するんじゃないだろうか? だって、どの面下げて帰国できる?

ただ、中国としては金の亡命を受け入れるとしてそのあとどうやって北朝鮮への影響力を保つかという問題があるので、簡単に受け入れるということにはならないだろうけれども、そのあたりの力関係のバランスがうまく取れれば金の亡命という話もありえなくはない、んじゃない?

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2019年2月24日 (日)

秘密の地下鉄道で悩む

実は去年の秋くらいに書いていた記事があるのだが、うまくまとまらなかったのでボツにしていた。

要約すると、一般の路線図に載っていない鉄道路線があって、それは横須賀線にからんで以前から貨物輸送に使われていたりしたものだが、そういう路線の一部が旅客輸送にも使われたりしている、という話なのだが、すでにそういうのをまとめたサイトがあったりしてそこを見てもらえばいいやね、ということでボツにしてしまったのだった。

なんでそんな話をまた引っ張り出してきたのかというと、相鉄線がJR横須賀線とつながるという話が実現性を帯びてきたということを耳にしたもので。

Soutetu_jr

何だか、こんな話だったように思うんだが日にちが経っているのではっきりしない。2kmほどトンネルを掘るだけで相鉄の西谷駅あたりから貨物線へ接続できるあらしくて、この貨物線がまた横須賀線と武蔵小杉あたりでうまくつながりそう、というはなしらしい。

で、こんな地図やら衛星写真やらをつないで横須賀線(というか、むしろ南武線)の武蔵小杉駅あたりから真西へ伸びて南多摩あたりまで地下を走る貨物線が地上へ出てくるところを衛星写真で探したりとかしていたわけだ。

Entory22
これはその貨物線が地上に出てくるところを多摩川の対岸上空から見おろしているところ。左に見えているのが南武線で手前が立川側、向こうが川崎側ってことだったんだけど、うまくまとまらなかったので、やっぱりボツ。

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2019年2月 3日 (日)

中国の異物に悩む

GoogleMapで「妄想旅行」なんてことをやっていたのは、もう9年前になるんだなぁ。

それ以来、っていうかその前からだけれども、今でもGoogleMapであちこちを見て回っている。

で、こんなものを見つけたりするわけだ(この投稿のMAPはそれぞれクリックで拡大されます)。右下の縮尺を見てほしい。2kmとあるからここで赤線で囲んだそれぞれのサイズはせいぜい1㎞~2km四方である。中華人民共和国 甘粛 酒泉市 敦煌市というところらしい。URLはこちら

Strangechina

左端のものから順番に見ていこうか。

Strangechina1

これは800m四方くらいのエリアで、特に何も無いように見えるが地面の色が周りと違っている。衛星写真のほうで何か問題があったのかもしれないが、それにしては正方形がちょっと崩れているので、やはりこういう地面なのだろう。

次のものは何やら意味ありげな模様である。

Strangechina2

この模様が不思議なのは、地形に凹凸があるにもかかわらず、図形が凹凸に影響されていないように見えることだ。実際にURLからMAPを拡大して確認していただきたい。この図の上の方には川のようなものが見えるが、これがどうにも縮尺から期待されるものと違っているように思えてならない。何とも不可思議な地域なのだが、このあたりではストリートビューもまったく使えないしなぁ。

次の二つの異物は、飛行場のように見えなくもないが、それにしては飛行場につきものの付帯設備がない。

Strangechina3

全長2kmくらいだから滑走路に使えるとは思うが、着陸してからどうするのだ?道路もないのに。

次のも滑走路に見えなくもないけれども、1kmくらいだから普通の運用に十分な長さとは言えない。まぁ特殊な用途なら使えるだろうけれども、それにしても周りに道路がないのが不思議だ。

Strangechina5

最後のはまた異形の造形である。なんだこれ?

Strangechina6

ナスカの地上絵を連想するが、あれよりもはるかに小さいんだなぁ。

中国に行く用事のある方がいらっしゃいましたら、是非とも行ってきていただきたい。

翌日追記:

これってあの「敦煌」のそばなんだなぁ。敦煌の西北西80kmというあたりなので、もしも敦煌へ行かれる方がいらっしゃいましたら(以下略)。

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2019年1月27日 (日)

GoogleMapの地形図で悩む

GoogleMapをスマホで使っていて、レイヤのメニューに「地形」というものを発見した。これを選ぶと簡単に地形を表示することができる。

同じことがPC版のGoogleMapできないものかと思って「GoogleMap 地形図」で検索すると、地形図付きのMAPを表示することできた。でも、画面下の方にある「地形図表示」のスイッチをオフにしてしまうと、このスイッチ自体が表示されなくなり、もう地形図を表示することができなくなる。どうすれば任意の地図を見ているときに地形図を表示することができるのか?

Chikei

Mapmenu 調べてみると、GoogleMapの左上にメニューのアイコン(横線三本)があり、これをクリックするとメニューが現われて、そこで「地形図」が選べるのだった。

いまさらながらなのだが、この発見はうれしかったなぁ。地図にはやっぱり地形図が無いとね。

昔から地図の見るのが好きで、結構飽きずに見ていたりしたのだが、地形図のないGoogleMapは飽きるのが早かった。地形図があると、ああ、国道16号線というのは多摩丘陵(というんだろうか?)の西の端に沿って走っているんだなぁ、とか、圏央道は相模平野の西の端の微妙なところを走っているんだなぁ、とか、では相模平野の西側の山地はざっくり何と呼ぶのだろう?とか。

さらには、圏央道を北へ見ていくと山間を縫いながら東へ向きを変えていくわけだが、そこにどんなストーリーがあるんだろう?とか。

などなど、ネット遊びはまだまだ尽きないわけです。

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2018年11月30日 (金)

高速道路直結の駐車場で悩む

高速道路にはSAとかPAもあるわけだから、そりゃもちろん高速道路直結の駐車場と言ってもそれほど珍しいわけではない。しかし、この駐車場はそういうのとは違って公園の駐車場であって、そこへ高速道路が直結されているのだ。

Mappark
この地図で赤く色を付けたのが駐車場で、この駐車場のために黄色に色づけられた道路が設営されている。

横浜横須賀道路を横浜方面から走ってきて地図の上から右手方向(並木中央方面)へ曲がっていくと下の写真のようなゲートがある。一番左端のゲートが「公園直結」となっている。

Gate5

これは面白いと思ったので、朝早くから車を飛ばして行ってみたのは9月の話だったのだが、勢い込んでこのゲートへ入ろうとした途端「通行禁止」の看板が目に入った。それはないだろ~。

仕方がないので、通常のゲートを抜けて最初の出口で降りて駐車場へ向かった。駐車場へは地図で言うと駐車場の右手方面から入ることができる。

朝早かったので、駐車場(これは高速直結ではない)はガラ空きだった。駐車場から通路を歩いていくと私が車を停めた駐車場の上の階が高速直結になっているらしかった。写真を撮ってみた。高速からのゲートを通れないわけだから、車は一台も停まっていなかった。

Parking

警備員さんがいたので、高速から駐車場へのゲートを通れなかったという話をしてみた。そうすると、「すみませんねぇ。あのゲートは9時にならないと開かないんですよ。」「道路公団のほうの決まりなんで私たちにはどうしようもなくて。」そんなに恐縮することもないのに。

私がゲートのところを通りかかったのは9時数分前だったので、閉まっていたのは仕方がない。でも、「9時開門」とか書いてあればちょっと待っただけで通れたのに。

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2018年9月 2日 (日)

伝説の旅行者に悩む

Isabella_birdイザベラ・(ルーシー)・バードは1831年生まれの英国婦人だが、1787年(明治11年)6月から年末にかけて日本を旅行し、旅行記を出版した。

旅行記は妹への手紙という形になっている、というかそのまま妹への手紙を元に出版したものだ。

巻頭に「健康を回復するために日本を旅行することにした」とか書いているが、いやいやこれは病人のすることじゃないですよ。

膝まで入るぬか道を歩いて山越えをしたり、濁流渦巻く川に方までつかりながら歩いて渡ったり、これじゃまるで探検旅行じゃないですか。

同行したのは伊藤鶴吉という18歳の通訳一人で、彼は旅行中献身的にバードに尽くすのだが、バードの方はあまり信用していないのか、「宿賃をごまかしている」、「採用した時の経緯が不明瞭」などの文句を言ったりもしている。それでも「全財産を伊藤に預けたが、彼がそれを持って逃げるということはなかった」などとも書いている。

旅行記は原著に準じて上巻下巻の2巻構成になっている。上巻では日本到着から日光を経て新潟へ移動し、その後日本海側を青森まで難行苦行して青函連絡船で函館まで行く。ここまでで9月になるのかな。下巻では関西の方へ回るらしい。

私は今やっと上巻を読み終わったところで、まぁそこまでの話では読むほうも結構難行苦行だった。内容も退屈と言えば退屈だし、クライマックスも期待できないってわけで。

しかし、バードのレポートにはいろいろと注目すべき事実が記されていて、当時走り始めていた国鉄の東京-横浜間の料金が三等が1分(1シリング)、二等が60銭(2シリング6ペンス)、一等が1円(3シリング8ペンス)であり、この路線は1年間に800万ドルの収益を上げていると書かれている。

あちこちの村を訪れた際にも伊藤がその地の警察へ行って村の戸数と人口を調べてきており、それぞれの地での村人たちの様子が生き生きと書かれている。

気が付いたことを箇条書きにしてみると以下のようになる。

・日光までは日本の文化を気に入っていたようだが、新潟への道から「村人は男女ともに上半身裸で」という表現が多くなる。
・子供の教育やしつけについては田舎へ行っても感銘を受けていた様子。
・交通機関は道の良いところでは人力車、道が悪いと馬や牛に乗る。川は橋があればもちろんそれを利用するが、新潟から先では豪雨で橋が流されることが多くて、川の中を徒歩で渡ったりする。
・当時西洋人は当然珍しくて、しかも女性なので野次馬が山のように押し寄せたらしい。
・それでもバードは果敢に着物を着て変装し、葬式や結婚式に参加したりしている。
・キリスト教の布教について関心が深く、日本人の宗教観にしばしば触れている。
・「西洋の文化から隔絶したところで生活が成立している!」
・バードは道中一度も物乞いを見たことが無いと書いている。
・警察官が村人たちから尊敬されている様子が描かれている。思うに当時の警官は元武士だったんだろう。そのために警官の質と士気が高く、買収などされることもなかったのが日本の治安の基礎となったのかもしれない。

まぁこうやって書いていくときりがないのだが、ご用とお急ぎの方は写真に写っている「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」を読むといいだろう。私はオタクなのでバードの上巻下巻と「『日本奥地紀行』を読む」の両方を読むつもりだ。

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2018年8月22日 (水)

地獄谷はぐれ猿

20世紀の終わりごろにどこかのパソコン通信BBSに書いたものを発掘した。今となっては遠い思い出だなぁ。

Straymonkey
(画像はイメージです)
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地獄谷はぐれ猿                                                               
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 何年か前の夏の話だ。私と私の家族は友人のS氏一家と一緒に信州へドライブ旅行に行った。

 S氏とは産業用ロボットを試作し、評価するという仕事でご一緒したのだったが、偶然にもその仕事が始まるのと前後して私には長女、彼の方には長男が生まれたことから家族ぐるみで親しくつき合うようになったのだった。2番目の子供も両方共に女で歳も同じになった。このBBSではまだ書いたことのない「大笑い女子大生クリ事件」をともに体験したのもこのS氏とだった。

 信州の旅は楽しかった。山道に迷ってほとんどハイカー道のようになったところを車でむりやり通ったり、高原の朝の散歩中に目付きの悪い牛達に囲まれて怖い思いをしたりという、今だから笑える事件などもあった。この話のメインテーマもまさに「今だから笑える」もののひとつである。

 地名をはっきり覚えていないのだが(私は地理には強いのだが、どういうわけか信州だけは苦手だ)オブチザワとかいうあたり(葛飾北斎記念館なんてのがあってこれはなかなか面白かった)でS氏はかねてよりの念願であった「栗おこわ」を購入した。これは彼の大好物だったのである。私もつられて2食ほど買った。

 オブチザワを出て、次の目的地の地獄谷へ向かう。「温泉にはいる猿」で有名なところで猿を見物でもしたあと弁当でも食べようという思惑である。

 地獄谷の駐車場へ車をおいて谷沿いの細い道を猿の棲息地へと向かう。先頭はS氏とご長男、この二人がすたすたと早足で進むために少し間ができてS夫人とご長女(当時3歳くらい)、その後ろに私の家族であるニョーボと長女、次女が続いて私はしんがりを勤めた。

 地獄谷へ続く道は右側が谷になっている。谷は緑で覆われて水の流れはよく見えないが、すこし先に丸太橋のあるのが見えた。正確に言うと丸太橋が見えたのではなくて、その上を私たちのいる方へと渡る猿の姿が見えたので丸太橋があるとわかったのだった。

 距離があったのでその猿の大きさはわからなかったが、一匹だけで行動する猿というのは珍しいと思った。「はぐれ猿」という言葉が私の頭に浮かんだが、それだけで警戒心を起こすほど私は猿と親しいわけではなかった。

 S氏とご長男はもうだいぶ先へ行ってしまっていて、S夫人が第二グループの先頭になっていたときにその事件は起こった。

 S夫人は先ほど買った栗おこわのはいったビニル袋を下げていた。「猿に注意!ビニル袋を下げて歩かないように!」という注意書きの看板はまだ先の方にあって、そのときには見えていなかった。そのS夫人の目の前に突如として猿が現れたのである。

 猿の歳なんて分かるわけもないが、きっとそいつは子供ではない。成獣だ。顔つきがおっさんくさい。体長は1mくらいだろうか、体格もしっかりしている。先ほど丸木橋のところで見た猿だと思うのだが、確証はない。

 そいつはS夫人を睨み付けた。ビニル袋になにかいいものがはいっているだろうという彼の狙いは正しい。S家ご長女はS夫人にしがみついている。私のニョーボは硬直している。私はと言えば、二人の子供達にしがみつかれて動きが取れない。

 猿はS夫人になにか言った。「よい天気」、「通行税」などの言葉が聞こえたような気もするが定かではない。私は猿語をよく知らないし、S夫人はもっと知らないはずだ。

 話が通じないと見て取った猿は実力行使に出た。ビニル袋に手をかけて引っ張る。S夫人は夫の好物を取られてなるものかと気丈にも頑張るのだが、子供や自分の安全を考えるといつまでも防ぎ切れるものではないことははた目から見ても明かだった。

 ついに猿は勝利した。S夫人からもぎとったビニル袋から手際よく栗おこわ弁当を取りだし、ビニル袋はその場に置いて谷の方へ走り降りて行った。

 そのときになって、ようやく子供達の手を振りほどいた私はS夫人の所へ駆け寄った。S夫人もご長女もおびえてはいるものの怪我はないようだ。

 猿が置き去りにして行ったビニル袋を調べて、割り箸だけが残されているのを知った私は逃げて行く猿に向かって叫んだ。「おおい!箸はいらんのかぁ!?」

 まるでその声によって緊張の糸が切れたかのように、S夫人はその場にへなへなと座り込んだのだった。

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