
昔撮った写真のフィルムをスキャンしてデジタル化しているわけだが、写真のなかに
「作品」がないことに気がついた。雲がかかった月とか、抜けるような青い空に立ち
上がる積乱雲とか、そう言うのは子供の頃から好きだからあってもよさそうなものだ
が全くない。例としてここに掲げたものも、単なる風景写真じゃなくてちゃんとした
目的があるスナップなのだ。
中学生のころには、「テーブルの上に意味有りげに置いた石ころ」なんてのを撮った
りしてたのだ。よく分からないままに「芸術指向」してたのだろう。
いつのまにか、わたしにとって写真は生活の一部を切り取るものになっていた。切り
取ってどうするかというと、「名前をつけて保存」だ。それで人生のある瞬間を永遠
に保存できる。
思えばこれらの写真を撮った頃、私はあらゆる意味においてシアワセだったのだ。そ
のシアワセを永続させるために私はそのシアワセを写真として残し、そして今追体験
しているのである。
デジカメの時代になり、さらにインターネットの普及によって写真の意味は全く変っ
てしまった。今、人々が写真を撮るのは感動を他の人々と共有するためだ。私だって
そうだ。私がデジカメを買ったのはWEBに掲載するためだった。
今取っている写真を将来私が見たとき、どんなことを考えるのだろうか? 「ああ、シ
アワセだったんだなぁ」とは思わないような気がするんだなぁ。
最近のコメント